どこを向いても真っ暗闇

 先日、戦争反対だが、中国軍が上陸したら殺される。だから自衛隊は必要だという御仁にあった。戦争が始まれば南西諸島を守ることが出来ないのは自衛隊がよく知っているはずだ。ドンパチされたら住民は死を選ぶか白旗を選ぶかしかない。国を守ると言う〈大義〉などに縛られる必要はない。国に命まで預けたことはない。すぐ白旗を上げ降伏すべきである。「ぬつ(命)どぅ宝」である。
 沖縄県立図書館八重山分館廃止問題が又再燃した。予算がないだの老朽化し今にも図書館が崩壊しそうだといい、貸出し冊数が少ないなど嘘で塗り固めた理由でなにがなんでも廃止とワメイタ県教育委員会がまたもやってきて、漆喰より厚化粧をして本館主導で移動図書館を開催し住民から喜ばれたーと胸を張るのである。八重山分館がありながらなぜ本館が主導するのかには答えず。老朽化した図書館をなぜ修復しないかとの質問にも答えない。ああこれまた、廃止のためのアリバイつくりである。
 そういえば、石垣市長と県教育委員会の間で、分館廃止が決定しているとの噂がある。中山市長も議員時代八重山分館存続を決議したはずだ。態度を明確にすべきである。
 この原稿を書いている最中に野田総理大臣がTPP交渉に参加表明との報道である。参加すれば八重山の畜産、砂糖、水稲等農業基盤は壊滅し八重山社会は崩壊の危機に晒されるはずである。石垣牛を食べてギネスへなどというどころではない。
 ラジオによれば与那国では自衛隊が十五億円の予算を持って軍事基地建設のための土地購入説明会をし、外間町長は大歓迎だという。島社会が崩壊し軍人だけが幅を利かす社会と思えば背筋が寒くなる。どこを向いても真っ暗闇である。
公開された採択協議会議事録(八重山毎日新聞11月6日)を読む。玉津教育長の奸計は指摘して来た通りである。現場調査員の報告をランク付けではなく一社絞り込みとかってに判断し、廃止する方向に誘導している。そのうえ「順位付けについてはノーコメントします。わたしたちは絞り込みをやめようということですから」「エンドレスの議論になるので、これで終わりにして、本来の業務に入って行きたい。終わった後にまたやってもよいのではないか。今日の業務は教科書を選定することを優先したいと思います」と述べている。
議論しなければならない肝心なところを「終わった後にまたやってもよいのではないか」とはぐらかしているのである。なにがなんでも調査員推薦教科書のランク付けを廃止させなければ意中の教科書が採択出来ない。
 順位付けの難関の議論?をくぐりぬけたとき、かれはニンマリしたはずだ。あとは数の力で押し通す。目出度い目出度いである。
 議事録の中で唯一教科書選定についてのまともに論じているのは一人である。「学習指導要領や教育基本法の改定のポイントを押さえる(以下略)」と述べている。公民分野では「学習指導要領に書かれている現代社会の見方(中略)、という観点から選んだ。領土で国家をとらえるよりも、竹富のことわざにある言葉を忘れると島を忘れる。島を忘れると親を忘れるということの延長に国家をとらえたいそういう思いで教科書を見た」と述べている。つまり、愛国心強制の教育基本法視点とそれを具体化する指導要領の観点から選んでいるのである。
 憲法否定、歴史歪曲、時代錯誤、国家あっての個人、本の内容など論外なのである。「人間は伝統的に『国』を『国』たらしめる要素とは領土、国民、統治機構の三つであると考えて来た。しかし、一定の土地とそこに住む人々というのは『国』がなくても存在していた。要するに『国』とは統治権力の出現によって初めて成立するものである。そうであれば、国を愛するとか、国を守る必要というのはじつは権力を愛する心、権力を守る必要という同義になる。自分が暮らしている土地やそこで共に暮らす人々を愛する気持ち、あるいはそれを守りたいという気持ちは誰れでももっているだろう。しかし、それは国を愛するとか国を守ると言うこととは、まったく別のことなのである」(斎藤貴夫『改憲潮流』要約)。
 竹富のことわざを持ち出し島の延長に国家をとらえるなどナンセンスでしかない。竹富町は教科書無償対象外という驚くべき憲法違反などこの委員の頭にはないはずだ。

戦やらぶ手本やりば、渡ぬ外かい
 むんつあーし 投んげー捨てぃり
(戦を招く教科書は外海に握りつぶして投げすてよう)

大田 静男

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