本土復帰の1972年に購入したオールズモービルのオープンカーを、今でも大切に乗っているのは、いとす写真館の代表、糸洲寛三さん。当時車はまだ右側通行で、米軍基地のある沖縄本島に比べ、八重山では外車はほとんど走っていなかった。糸洲さんは那覇市牧港の自動車販売店でオールズモービルのカトラスを購入。フェリーで石垣に持ち帰り、市内を走る左ハンドルのオープンカーはすぐに多くの人目を引いたという。
糸洲さんは、まだ米軍統治下時代だった1971年、桟橋通り沿いにいとす写真館をオープン。百日記念や結婚式、カジマヤーなど、八重山の人々の大切な日を撮り続けてきた。当時同業の写真館はフォルクスワーゲンを持っていたが、糸洲さんはどうせ買うなら「お店の看板となるようなもっと大きな車を」と思い、写真館を立ち上げた翌年にオールズモービルのオープンカーを購入した。
それ以来、結婚式やカジマヤーだけでなく、石垣島まつりのパレードや千葉ロッテマリーンズの優勝パレード、きんさんぎんさんが八重山を訪問したときにもふたりを乗せ市内を走らせた。今でもオープンカーを借りたいという要望は多く、「可能な限りこれからも多くの人を乗せていきたい」と糸洲さんは話す。しかし運転だけは家族以外の人に任せることはなく、現在は長男の寛樹さんと次男の寛磨さんが運転手を務めている。
昔白無垢を着てカトラスに乗った花嫁の娘が、今ではウェディングの撮影で利用することもあるという。「もう少しすれば、その孫となる三代目も出てきそうですよ」と笑顔で話す糸洲さん。来年40年目を迎えるカトラスは、これまでエンジンは一度も故障したことはなく、その車体は今でも輝きを放っている。