暑い。猛暑である。海も山も群青の色。体中が青に染まる。二日酔いに青は憂欝の色である。そんな群青の空にならない早朝ハスを観る。
ハスが今年は例年になく着花数が多い。大きな葉が蕾をいたわるように傘をさしのべている。まるで親子のようだ。いや親子なのである。葉は光合成で栄養成長期に重要な役割をし、やがて次世代を残すための生殖成長期に登場する花に未来を託すのである。木漏れ日を受けて花弁が透ける。
邪道とは知りつつ黄金に輝く花托に爪さき程の金箔の仏像を置いた。するとハスは一段と神々しい。やはりハスは神仏の花である。汚れたわが心を清流が巡るようである。
ハスのほのかな甘い香りにつつまれながらたててもらった抹茶をいただく。
宮良断さん作の青磁の碗を茶碗にみたてた。透けるような碗に抹茶の緑が鮮やかである。茶道のわずらわしい作法など関係なく一気にのみほした。
口の中がほろ苦い。土産にもらった冬瓜漬けを頬張る。冬瓜を白糖で煮詰めたものである。サクサクと音をたて口中に甘さが広がる。畑で転がるシィブル(冬瓜)からは想像も出来ない上品な味である。抹茶のほろ苦さは完全に打ち消された。もうちょっと抹茶のほろ苦さを味わっておけばとちょぴり後悔した。
ハスの花は早朝から開花し始め午前中で花弁を閉じてしまう。それだけに、仏前に供えることは難しい。七月三日、尖閣列島戦時遭難死没者の慰霊祭に供花として持って行こうかと考えたが、ぐったりとした葉や色の褪せた蕾はハスのイメージを壊すのではと思い遠慮することにした。
尖閣慰霊祭に参加してもう十余年になる。当初、桃林寺境内に墓標を建て慰霊祭をされた。やがて、船蔵に慰霊碑を建立し今日まで慰霊祭を続けている。
今年の慰霊祭は石垣市の中山市長が魚釣島で石垣市主催で慰霊祭を行うための上陸許可を国に要請しているため、市長が弔辞のなかでそのことに触れるのではないか、尖閣上陸を求めるグループや右翼が押し掛けるのではないかと懸念された。しかし、そんなこともなく慰霊祭は平穏であった。だが、慶田城用武遺族会会長の挨拶はこれまでにない平和を希求する願に満ちていた。
武力に護られたなかでの慰霊祭は遺族の望むものではない。遺族会としては魚釣島での慰霊祭は考えていないと断言し、台湾、中国との交流を強調した。
これにはさすがの中山市長も、石垣市としても平和裡に慰霊祭が行われることを望んでいる。遺族会と連絡をとりながら対応させていただく。と述べる以外になかった。これによって魚釣島での石垣市主催の慰霊祭は断念せざるを得なくなった。
慰霊祭後に開かれた総会では「尖閣列島魚釣島における戦時遭難死没者の慰霊祭について遺族会の考え」という案が提案され、全会一致で承認された。
それによれば「魚釣島で慰霊祭を挙行するのは遺族会が望んだものではない。市から事前の相談もなかった。2002年以来舟蔵の慰霊碑前で慰霊祭を行っており魚釣島での慰霊祭に執着するものではない。ましてや、中国、台湾が領土を主張し、偏狭なナショナリズムの思想を持つ活動家たちが過激な行動で挑発しあっている不穏なこの時期に慰霊祭をするというのはふたたび紛争の火種になりかねないとの懸念さえしております。ひとたび戦争がおきればこの八重山島の住民生活はたちどころに崩壊していくでしょう。御霊もそのようなことを望んでいないはずです。遺族会は二度と戦争を起こさないためこの悲惨な遭難事件から学んだ教訓を生かしつつ平和の創造と実践をし、人類の平和に寄与することがつとめでありそれが御霊の何よりの供養になると確信しています」。
遺族をも巻き込んで尖閣上陸を目論む者たちが紛争の火種をまき散らすのは明白であろう。
慰霊碑の前で頭を垂れるのは「一日だけの平和主義者になる為ではない」。肝に銘じたい。