先日、白保に「柳田國男歌碑」を見に出掛けたときのことである。海に面した道を久しぶりに歩いた。石垣島は、どこからどの方向を見ても、海を見渡すことができる景勝地だと思う。だか、これと言って、行く用事もなく、中々行かないのが一般的である。さて、海に出て、皆さんが気付くことは何だろうか?
足元を見ると、砂や石の他に、いまにもフリスビーのように投げられそうなイカの死骸や、台湾や韓国、マレーシアなどといった、多国籍の様々なごみが落ちていることに気がつく。普段はこうして汚いので、たまにビーチクリーンを行って、綺麗にしないといけないのが現状である。そうして、歩いているうちに一言に“ゴミ”と言っても、二種類に分けることができることに気付く。こういう言い方をすると、賛否両論あるかも知れないが、一つ目は「落ちていて仕方のないゴミ」である。落ちていていい、というよりか、海流のせいで、外国のボトルが浜辺に打ち上げられるのは我々日本人がどれだけ気を付けても、他国が気を付けなければ、どれだけ清掃をしても同じだからである。だから、責めるのは、見ず知らずの外国人だがその一方で、二つ目「落ちていてはならないゴミ」がある。さて、それは何か。浜辺にある、バーベキューのゴミや花火類である。これは、流れるわけがないし、明らかに島にいる人間がやった行為である。確かに、海は漂着物で汚れているが「これぐらいはいいだろう」といった軽い気持ちの人間が沢山いたら、この綺麗な、八重山の海はどうなるだろうか。そして、小さいゴミでも、公共の地にゴミを捨てれば、立派な「不法投棄」という犯罪になってしまう。これぐらいで、犯罪?と思う積み重ねが、大きな犯罪に繋がるのである。
綺麗な海を守り、後世に受け継ぐために、まず、私達が綺麗にし、ゴミを捨てない義務があるのではないだろうか。小さなことが地球を守ることに繋がると、私は信じています。なので、まずは、始めてみませんか? 身近な机の上を整理することから。