葬送の今昔

葬送の今昔

人生の別れで身内や親族、友人や知人との永遠の別れほど悲しいものはない。
 東日本大震災で二万五千余りの方々が未曾有の犠牲になられたことは、日本全国、世界各国から悲しみを共感し、早期復興に多くの手が差し述べられている。心強いものである。しかし、手厚い葬儀も出来ずに荼毘に付されたことは、いっそう悲しみを倍加させるものである。
 そのようなことを思念しつつ、西表のある古村で九十七歳のマインダ祝いを終えて旅立つ高齢者の葬列に同行した。 
 かつて村の葬列では、屈強な選ばれた若者達が、ご遺体を納棺したガン(ガンダルゴー)を担ぎ、墓地まで重責を担ったのである。道半ばで絶対に一度担ぎ上げたガンを路面に降ろすことは、してはならない不文律である。車社会になった今でも、人生の終末を村で迎えた人物は、ガンダルゴーに揺られて荼毘に付される習わしである。
 今回の葬列は、納骨の儀であったが、先頭に篝火、次に高齢者の証である赤い布地の銘旗、そして親族や友人達から進呈された弔旗が続き、喪主の長子が抱く白布で丁重に包まれた亡骸、酒や供え物が女衆達によって、墓地まで運ばれた。
 喪服に身を包んだ葬列は、足取り重く墓地まで続くのである。時折山から下りてくる風になびく白い弔旗が、葬列の荘厳さを引き立てるのである。
 福木並木の小道を通り抜ける風情をシャッターチャンスと思い写真に納めた。葬列の後ろ姿が鮮烈に残像として脳裏に刻み込まれることとなった。
 離島の野辺送りの風景が、とある写真集で見た、水田を練り歩く葬列と重なり、感動を覚えたものである。

加勢本 曙

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