「ノーサイドの精神」

「ノーサイドの精神」

新しいスポーツとの出会い

先日、友人の結婚式があって大学時代を過ごした横浜に行った際、仲の良かった学部の仲間たちと再会し、長い人では6年振りに会う機会があった。その仲間たちというのは、現在シーズンが開幕し、毎年盛り上がりを見せている社会人ラグビーのトップリーグの第一線で活躍している選手たちだ。母校は当時大学選手権決勝の常連だった。私はラグビー部に所属してはいなかったが、熱く気さくな連中と仲良くなり、よく遊びや飲みに行ったり、試合の応援に行ったりする間柄にあった。現在はチームの主力になり、代表や優勝を経験しさらなる飛躍をめざす彼らの存在は、自分の励みにもなっている。
 思い返せば、2年生に上がる頃、私はそんな彼らからラグビーの一番の醍醐味である「ノーサイドの精神」というものを教わった。試合終了(ノーサイド)の笛が鳴れば、敵味方関係なく互いに敬意を示し称えあうという考え方だ。紳士のスポーツであり、ジェントルマンとしてフェアプレーを貫き、自分を律する態度をとる。日本の武士道と似た考え方に感動した。「ノーサイドの精神」の延長にある、試合後のアフターファンクションでは、戦い終えた選手同士が交流する場が設けられていること。激しい当たりの中、一人一人の役割をきちんとこなさないとトライに結びつかないため、「one for all. all for one.」が根付いていることなど、スポーツの奥深さを感じられずにはいられなかった。
 初めは友人の応援に行くスポーツが、プレイするスポーツに変わったのはそれから2年後。体の大きな相手とのぶつかり合い、どう見ても“走る格闘技”に飛び込んでしまうとは思ってもみなかった。ルールを知っているというだけで、誘われるがままクラブチームに参加した。激しい辛い試合の向こう側を選手として感じてみたいだけだった。結果私は、友人の活躍をチェックしつつ、毎年冬場に放送されるラグビー中継を楽しみに待つ人になった。
 本島や宮古島の高校には“花園”を目指すラグビー部がある。さて、この島にラグビーが入ってくる日は来るのだろうか。―ラグビーファンとして、密かに期待している。

波照間 督起

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