一八九0年(明治二十三年)六月十六日に白保集落に初めて学校が開校して、今年で百二十周年となる。幾多の学校名称の変遷を経て、一九四九年(昭和二十四)の戦後学制改革によって、現校名となったのである。
一九九0年(平成二年)には、創立百周年事業期成会が結成されて、現体育館が竣工された。この年には、二宮金次郎の銅像が田盛正貴氏によって寄贈された年でもあった。
そして、運動会は、創立百周年記念運動会として取り組まれたと学校沿革誌に記載されている。と同時に編集出版された記念誌には、二流の旗頭と宝船が登場した運動会の写真が掲載されている。
あれから二十年後の今年の運動会、開会式では、くす玉が児童代表によって割られ、百二十羽の鳩が放鳥された。昼食時には、ライブ演奏を卒業生の若者たちが聞かせてくれた。前日の夕刻と当日の早朝には、車上から記念すべき運動会の機運を盛り上げる音曲を車から流して集落内をパレードした。
閉会式では、白保の『白』を全校児童百十四人の人文字で表現し、校歌ダンスを卒業生や地域の方々も参加して踊った。
フィナーレは、六年生十六人が旗頭を交互に持ち合いながら、運動場中央に、元気な声で「エイサー、サーサー」、「エイサー、サーサー」と掛け合いながら登場。しばらくのガーリーの後、一呼吸置いて六調節でモーヤーを踊った。
歌、三線、踊り、棒術、獅子舞等伝統文化と芸能の豊かな白保ならではの創立百二十周年記念運動会であった。
就中、子どもエイサー「祝い太鼓(さぶっ子魂でとどろかせ)」では、四年生が地謡を務め、伝統文化が息づく土俵を垣間見た。
自然体であることが、白保の風土である。