平和教育と慰霊祭

平和教育と慰霊祭
平和教育と慰霊祭

六月二十三日 慰霊の日に

梅雨時になる六月には、鉄の暴風と言われる砲弾が容赦なく降り注ぎ、艦砲射撃は土煙を上げて大地で炸裂、火炎放射器は逃げ惑う住民を焼き払い、壕に避難した赤子をも炎で焼き尽くす。
一フィートフイルムに映し出された沖縄戦の惨状は、見る者をして、改めて沖縄戦の悲惨さに慟哭するのである。敗戦から六十五年、沖縄戦体験者が、歳月を重ねる毎に物故なされ、体験の語り部が、減少の一途となりつつある。
六月二十三日を目前にして、県内学校では、平和集会がもたれた。戦争体験者が、高齢化するにつれて、語り部の皆さんも「命あるうちに語り継がねばならぬ」と心に秘めたウムイを時には涙をためて子どもたちに語り聞かかせてくれる。
これまで平和教育は、沖縄戦の体験者の話を聞くことによって、沖縄戦の実相に迫り、共感の心情に立つことができた。でも、これからは違う。
平和を創造する観点から、平和教育を実践的に取り組み、構築せねばならない。
すなわち、学校教育の場では、低学年は平和を想像する絵本や平和を追求する物語を読み、中学年では地域に眠る優れた平和教材や戦争の遺跡を訪ねて触れ、高学年は、戦争の歴史を学び、戦争が勃発する要因を探求し、発表する学びの階段を登っていくことが、平和教育の要諦となる。
慰霊祭の日、八重守之塔に参拝した。石垣市内各校の児童生徒も参席し、厳かに平和の式典が進められた。
遺族を代表して「この地に立つ度に、御霊の尊い礎の上に今日の平和が、築かれていることを胸に深く刻み、心新たにするのです」との追悼の言葉を述べた仲山忠篤さんの含蓄ある挨拶に、私も頭をたれるのであった。

加勢本 曙

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