お米粒中の神様

お兄さんとの出会い

先日、名蔵の稲作地域を車で通る機会があった。黄金色の稲穂を収穫する光景に、ふと、大学時代のことを思い出した。
 当時僕は、横須賀のShellというバーでアルバイトをしていた。常連客の多い店で、いつも一人で来店するロックな風貌の“お兄さん”と呼ばれていた寡黙なお客さんと、珍しく会話をしたときのことだ。
「君、学校の先生になりたいんだって?」。
「はい」。
「じゃあよ、米粒の中には7人の神様がいるって話知っているか?」。
 初めて聞いた話だったので、もちろん知りませんと答えた。しばし沈黙の後、どうしても気になったので、教えて下さいと恐る恐る言ってみた。頷きながらしばらく黙ってお兄さんは口を開いた。
「そんなの自分で調べろよ! 先生になりたいんだろ? 甘えてんじゃねぇ!」。
 島を離れて4年目の春。今までに味わったことのない衝撃を受けたことは間違いなかった。
 あれから5年後、思い立ったようにこのことについて調べてみた。結果は、意外だった。“米粒の中の神様”は7人で七福神だったり、米という字から88人だったりと、曖昧ではっきりしないものだった。期待外れな反面、なぜあの時お兄さんは、ああいうこと言ったのか。初めて深く考えた。もしかすると、人に聞く前に自分で調べることの大切さ。すぐに結果を求めることより行動する過程の重要さを、伝えたかったのだろうか。そう考えると、あの時の衝撃も尖っていたものから、やんわりした感謝にちかいものに変わってきた。
 僕は、この出来事を一生忘れないだろう。そして、またこれからもお米を見る度にお兄さんを思い出すだろう。

波照間督起

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