センバツ大会興南優勝

センバツ大会興南優勝
センバツ大会興南優勝

八重山スポーツの歴史を変えた男

球春到来、今年はセンバツ大会に沖縄県から2校が出場、興南高校が優勝と一昨年の沖縄尚学の優勝に続き沖縄県勢の層の厚さを全国に知らしめる大会となった。八重山関係者としては双子の国吉大陸、大将くん、慶田城開くんが興南高校で出場し活躍した。
 八重山商工が初めての甲子園に出場するとき、慶田城くんの祖父實さんを取材した(やいま2006年3月号P30参照)。實さんは1961年、石垣中学校野球部の監督時代に八重山勢としては初となる全琉制覇を成し遂げ、今日の八重山球界の礎を築いた。那覇から船で帰島すると港にはたくさんの人が集まり、初めて海を渡ってきた優勝旗に郡民が沸いた話など、当時の様子を語ってくださった。
 實さんの取材に訪れたのは2月、前日までの悪天から一変、うるずんの季節で陽気が心地よい日だった。自宅での取材を終え見送りに出てくださった實さんに「ずっとこんな天気ならいいんですけどね」と一言言うと意外な応えが返ってきた。「変化がなければ人間は成長しませんよ」。八重山の野球の歴史を変えてきた指導者としての信念を感じた一言だった。

栗本 浩平

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