選挙の実態・旧石器時代の人骨発見

石垣市長選挙がま近だ。選挙と聞くだけでゆう鬱になる。
 政策も読まず、日頃の言動にも関心を寄せずやり過ごして来た人たちが、突然変身し、饒舌になり、字別対抗か氏族決戦のように旗を振り右か左か仕分けして敵か味方か勝手にレッテルを貼る。何とまあいい気なもんだと思う。
 ○○候補を支持すると名前を書けというに至ってはその候補者や支持者、政党の愚劣さに驚きと怒りを抑えることはできない。戦後初期の選挙のファースカタカイドイリ(物喰わす候補者に投票する)から、ミンパナ(耳鼻-保革)、白黒闘争、すべての価値観が党派によって決められた暗黒時代を清算したかと思えば、いまだに前近代の選挙をしているのである。自分で読み、考え、自由に発言し判断することのできない社会はファシストやスターリン主義の社会でしかない。
 主客転倒しながら民主主義選挙云々は笑止千万である。
 僕は立候補者以外の人が選挙運動をするのをすべて禁止する。選挙運動に関与した個人や組織は厳罰に処す。そうでもしない限り、地縁、血縁、チバン・カンバン、シガラミによる個人への圧力を断ち、自由な意思での投票は実現できないのではないかと思っている。
 かつて八重山の最高行政職である頭職は目差以上の投票(フダイリ)によって選出された。民主的な選出に見えるが、内実はピキやウヤク(血族、姻族)による役職のタライ回しでしかなかったのである。それ以外の者たちが役職につけるのは不可能に近く、出世のためには役人に賄賂をおくり、加勢というただ働きをして臨時職のような仮若文子という役職にやっと就けるというありさまであった。それゆえに、下級役人にしかなれなかった一門は〈オヤケアカハチの乱〉の時、中山軍に味方した先祖の功績という古証文まで持ち出し出世を嘆願したのである。
 おなじようなことは琉球王府の三司官選挙も同様であった。歴史家渡口真清によれば「三司官は、もともと向、翁、馬、毛の四姓から任じられているので、表十五人に引き抜かれるのも、この四姓の者が多数である。それは三司官選挙の投票権、被選挙権にもからんでいる。三司官の選挙は申口座以上の者及び久米村大夫以上の投票となっている。投票であるから公平なように見えるけれども、実は選挙権のあるのはこの四姓の者が多数を占めている。そのように平常から工夫されていて票読みがなされているらしい」(「士の次男三男」)。昔も今も投票であるから民主選挙等と言っているのはその実態を知らないから言えることだ。
 喧騒で騒々しいなか、二万年前から一万五千年前の人骨が白保の竿根田原の洞窟から発見されたという。びっくり仰天。ついに発見されたかと思わず涙。かつて、宮古のピンザアブから一万年前の遺物に混ざり人骨が出土した。八重山でも旧石器時代の人骨が出土しないはずはないと、同僚と洞窟にもぐり、ホネ、ホネと探しまわったことが懐かしく思い出される。約三万二千年前の人骨が出土した那覇の山下洞窟や港川原人が発掘された具志頭村の港川フイッシャーを訪ねたり、東京の国立科学博物館で港川原人を見たときの感動は忘れない。
「後期更新世人骨」というらしい人骨の共同研究には石垣島の考古学を学ぶひとたちも参加させて欲しい。なによりも旧石器時代の人骨の発見を待ち望んだのは若い彼らであり、これからも島の文化財発掘を担うひとたちである。それに、人骨の石垣市での展示公開もして欲しい。地味であまり顧みられることのない八重山考古学発展のためにも実現してもらいたい。
 ところで、発見場所の地名だが「竿根田原」(さおねたばる)というのは誰が命名したのであろうか。そう呼ぶ人はいない。漢字に惑わされて読んだのであろう。竿根田原は〈sondapari〉という。放射性炭素年代測定法によって国内最古の人骨発見場所がおかしな名称では困る。早急に訂正すべきだ。かって川原山入口付近の窯跡を阿香花窯などと場所違いの名称をつけながら訂正できないと、世の中を惑わしている例もあるのだ。

大田 静男

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