もう30年くらいになるはずよ。あの先輩はやってないけど、この先輩はやったって言っていたからよ」。
私が地域の先輩に質問するとこう返ってきた。そんなに長く続いているのは、母校、平真小学校の学芸会で6年生男子が演舞する、『平得の獅子舞・棒術』である。平得獅子舞・棒術同好会の一員として、指導に参加して今年で5年目。ふとまわりを見た時に、ほとんどの指導者が、小学6年生の時にこの獅子舞・棒術を体験していることに気づいた。もちろん私もその1人である。中には、“指導者の指導者”もいる。
「なぜ、こんなに長く続いているのか」。新しい疑問がわき上がった。
先月末、平真小学校学芸会が本番を迎え、子どもたちは、晴れの舞台に立った。今年指導した児童は、いつになく思い入れがある。それは、練習中にある児童がふと発したひと言が胸を打ったからだ。
「今度いつまた棒術を打てますか」。
私たちが幼いころは、大人が演舞する獅子舞・棒術を見る機会がたくさんあり、それを見て育った。
いつしかそれは憧れとなり、6年生で体験することで、今度は地域の中で大人たちに交じって打ってみたいと、夢を持った。その夢は、大きくなるにつれて、豊年祭のツナヌミンや旗頭、獅子舞と形を変え続いていく。経験は、文化継承者としての自覚へとつながり、その集まりが獅子舞・棒術同好会や旗頭持ち、青年会なのである。
近年は、私たちが憧れを持つ場である棒術を披露する機会が少ない。地域によってだが、子どもたちはツナヌミンや獅子舞を見ることができても、棒術そのものを見ることは少ないだろう。大人が背中で示すことで、子どもたちのなかに芽生える意識がある。でもそれが足りない。あの児童のことばに対して、目標となるべき場を伝えることができないもどかしさがあった。しかし、喜びはひとしおだった。自分の意志で「またやりたい!」の気持ちが飛び込んできたからだ。あの頃の自分と同じ気持ちを持ってくれた。それだけで嬉しかった。
「今度いつまた棒術を打てますか」。
これが、長く続いている答えだった。伝統文化を継承する上で最も必要な「また見たい」、「やってみたい」の気持ちを子どもたちに持たせる、感じさせることができる最高の“教材”がここにはあった。そして、実際にその気持ちを持った児童が一人でも存在していることが長く続いてきた意義であり、後に続くことで意味になる。
平真小学校の伝統となっている6年生の獅子舞・棒術。私の指導した児童が、“指導者”としてこの学び舎に帰ってくることを心待ちにしたい。
指導を行うにあたり、校長先生をはじめ、6年担任・児童、協力して頂いた職員、保護者の皆様に深く感謝申し上げます。