星野の開拓者たち 

星野の開拓者たち 
星野の開拓者たち 

砂川実男さん 82歳 ヨシ子さん 77歳実男さん古島出身昭和26年7月入植当時23歳ヨシ子さん大宜味出身昭和26年伊野田に入植
当時18歳  実男さんは宮古島からの入植。宮古では土地がなかったので、八重山のいい土地でやろうと決心し、父親の真津さん、妹のミヨさんと星野へ渡ってきた。ヨシ子さんは大宜味から伊野田へ入植。ふたりが出会ったのは小学校であった映写会で、ヨシ子さんに一目ぼれした実男さんがアタック。実男さんは宮古の方言は使わず、「日本語ができたからお付き合いができた」という。その後、昭和28年にめでたく結婚した。
「腕ひとつでちゃー伐採」(実男さん)
 先遣隊ではなかったため、残っていた土地は決していい土地とは言えなかったが、おふたりの土地は星野で唯一水が沸き出る場所だった。そこで、田んぼができるのではないかと考え、夫婦で米作りをすることに決めた。毎日毎日、太い木をひたすら伐採し、根も掘り起こし、水田となる土地を作った。「あの太い木は今思えばサガリバナだったんだね」とヨシ子さんは言う。今でも部落の川沿いにはサガリバナの自生している場所がある。
 宮古には水田はなく、実男さんは米作りは何もわからなかったが、ヨシ子さんは小さい頃から、米作りをする実家の手伝いをしていた。さらに、米作りの先生から指導を受けたり、試行錯誤しながらふたりで田んぼをやってきた。おふたりのお子さん4人もこの米を食べて大きくなったという。落花生を作っていたこともあり、たくさん実をつけたのだが、イノシシによく食べられてしまったという。サガリバナがあった水場だったから、土地がよくてなんでもできたそうだ。
 しばらく米作りをした後、米よりも高く売れるパイン作りに転向する。パインを始めたのは部落の中でもとても早かった。畑にする場所は相当傾斜があり、トラクターも入れられなかったため、広い土地をみんなで鍬で耕し、運搬も人力のみの重労働だった。
「不安はなかったですよ。新天地への希望のほうが大きかった」(ヨシ子さん)
 未開の地での開拓は?との問いかけに対し、こちらの想像に反してヨシ子さんはこう言う。
 現在、ヨシ子さんは、自宅の庭で野菜を作るのが楽しみで、毎日世話をする野菜は、共同売店でも販売している。実男さんの今の楽しみは趣味のギターを弾くことだ

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