ふるさとは遠きにありて…

(10)かまど

 今の若い人たちにとってはもう死語同然のかまどであるが、昭和三十年代にはどの家にも備えつけられていたものである。
 我が家にも父と祖父が苦心しながら作ったというかまどが台所の土間に陣取っていた。勿論かまどは料理を支度するものなのだが、幼いぼくたちにとってそこは母との憩いの場所であり時として勉強部屋にもなった。
 初めての文字を習ったのもかまどの前だった。薪の燃える明りを頼りに母が土間の砂に文字を書き、ぼくがそれをなぞる、という方法で五十音を覚え数字をマスターしたのである。日中は大抵野良仕事で家を空けている母とゆっくり向き合える所が夕暮れのかまどの前だった。
 小学校の四年にあがったばかりの頃だった。ぼくは母に叫ばれてかまどの前に座った。白米を炊く匂いが漂っていた。いつものように母が棒切れで、九牛の一毛と砂に書いた。まったく知らない言葉に面喰っていると母が諭すように意味を説明した。ぼくは途中から母の言わんとしていることを理解した。運動は苦手であったが勉強はどの科目も自信のあったぼくの慢心をとり除こうとする母の訴えに琴線が乱されたのである。あれから五十年近く経とうとしているが、あの言葉とあの時の母の表情は忘れることができない。しかし、この前、あの頃のことが話題になった折、ぼくが習ったという言葉を告げると、母が少し戸惑いながらどんな意味なのと聞き返した。時の流れが母の記憶をかき消したのであろう。ぼくは母から教わったときと同じ表現を加えながら昔日の母の胸の内を想像していた。
 僻地の貧乏な家に生まれた子供の不運を嘆きながらも、学ぶことだけは身につけさせたいと願っていた母は、自ら寸暇を惜しんでは知識を得てぼくたちに教えていたのであろう。母の子を思う心の深さと広さをしみじみと感じながら、あのかまどの前の光景を懐かしく思い浮べる。 

小浜 清志

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