石垣島海森学校の一一月の授業は、「宇宙の学校」だった。石垣島天文台を教室に、星や宇宙の映像を見るとともに、かつての八重山での星の見方にも目を向けようと企画した。天文台の花山秀和研究員、天文台の運営に参加しているNPO法人八重山星の会の通事安夫代表理事が、説明をしてくださった。
当日は、あいにくの雨で、残念ながら、直径一〇五センチメートルの「むりかぶし望遠鏡」をのぞくことも、外に出ての星空観察もできなかった。そのかわりに、この望遠鏡で以前写した星の写真やビデオを見せていただいた。仮想宇宙旅行は、今いる場所から段々上空にのぼっていき、地球を離れ、太陽系を離れ、銀河系も小さくなって見えなくなる距離を過ぎ、現在観測できる限りの宇宙の限界までの映像を見てみようというプログラムだった。
その後、小さな「むりかぶし」(すばる)が、その動きで島の人々に季節と農作業の時期を知らせるようになった由来を語る民話の影絵が上映された。
最後は、海森学校正木校長による八重山での星の話だった。
八重山では梅雨期間を「ゆどぅん」と呼ぶ。ゆどぅんとは、淀む・休む・停滞するなどの意だが、ちょうどこの時期、「すばる」は夜空から姿を消す。昔の人は、「すばる」が休むのだと考えていた。星の動きと梅雨期を結びつけた方言は、日本中のどこにもない。すばらしい八重山の文化だ、と語られた。
星圖は、波照間島に赴任していた琉球王府の役人が、土地の篤農家に星の運行と農作業の時季との関係を尋ねてまとめたものを、その息子が一七五六年に記録したものである。八重山では、星の一つ一つで季節を知り、航海、農業、生活の時季を知ることが広く行われていた。
石垣島海森学校の行事も五回目となり、続けて参加される方も増えて来た。宇宙の学校は、これまでの行事の参加者への連絡と新聞への「誘い」掲載で参加募集したが、すぐに満員となり、四分の三はこれまでの参加者だった。
今後は、続けて参加される方がさらに増えると共に、いろいろな方に講師として加わっていただき、ないのは校舎だけ、という学校にしていきたい。
その先に、失われた自然や風景、生活の在りようを取り戻す道筋も見えてくるのではないかと思う。
(この一一か月、主に、筆者の参加したさまざまな活動について書いてきました。長い間お付き合いくださり、ありがとうございました)。