ふるさとは遠きにありて

八重山を思った一年

「ふるさと」というのは、予め存在しているものではない。生活の拠点を移した先で認識されるものだと、思う。ふるさとの生活文化体験が、移住先で殊更に古里を思うノスタルジックな精神作用が起こさせるのである。
「男の古里は少年時代」と誰かが言ったが、私の少年の日々の思い出は、自然と八重山の海や山に帰っていく。唱歌「ふるさと」的に書けば、「ソーミナー(目白)追いしバンナー山、エーグァー(バリ)釣りし美崎の海」。今みたいに、ゲーム機器のない時代、遊び場は自然のなかにあった。そして、季節の移ろいのなかにもあった。
 冬の時期には、カーブヤー(凧)を作り、飛ばした。凧でもいろいろな形の名前があった。八角、六角、ピキダー、軍艦ピキダーなど。暑い夏場は、美崎の海での海水浴。芭蕉の樹を持ち込んで浮き輪代わりにした。広場では、三角ベース(野球)を楽しんだ。漫画を賭けての試合もしたなぁ。パッチン、ダ(ラ)ムネ遊びも懐かしい。樹上にダンナーを作って隠れ家的に涼み所にした時もあったなぁ。
 私の家の付近には、アーマーオン(天川御嶽)、ミシャギオン(美崎御嶽)があったので、季節の祭りごと、ハーリー(海神祭)、アマグイ(雨乞祈願)、プール(豊年祭)などが行われた。そこで繰り広げられた奉納芸能の数々が、わたしにふるさと体験の核となって、その後の人生に多大な影響を与えられるとは、夢にも思わなかったことだ。
 ふるさとを離れてから、早いもので四十余年もの歳月が過ぎた。昭和二十五年の寅年生まれが還暦を迎える。虎の格言は、勇ましいことを表現しているものが多い。くれぐれも「とらになる」のだけは、やめておきたい。
 この一年間の「やいま」の執筆は、ふるさと再発見の旅であると同時に、自分を見つめる時間でもあった。別れは次の出会いの一歩である。「出会いは神の気まぐれ鳳仙花 泥佛」。ありがとうございました。

西表 宏

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