台風被害で茫然自失の一家

台風被害で茫然自失の一家

八重山の若夏から晩秋にかけては、台風シーズンである。実に七カ月~八カ月は台風の恐怖に晒されることになる。この間、大小様々な台風が襲来する。そのため「台風銀座」の異名がついた。台風は干ばつとともに、住民生活を窮地に陥れる。
 農家及び漁家の受ける打撃は、大きく生産力等を沈下させる。農家の場合、サトウキビやパイナップル、熱帯果樹などは四方八方がなぎ倒され、大きな被害を受ける。また、ビニールハウス等も被害は大きい。漁家は海上シケのため長期間にわたり出漁することができず、収入源を閉ざされることになる。
 建築物は、現在では鉄筋コンクリートで頑丈になり、被害を受けることは少ない。しかし、茅葺きや赤瓦葺きの民家が主流だった、昭和初期から後期にかけて、大型台風が来ると、赤瓦や藁が吹き飛ばされ屋根は丸裸、壁は吹き飛んだ。被害は全壊、半壊等でかなりのダメージを受けた。写真をみると、よく分かる。
 一九三三年(昭和八)九月十七日、大型で非常に強い台風が八重山地方を襲った。勢力は気圧九四六・九ミリバール、最大風速五〇・三メートル、総降水量三八六・九で猛威を振るった。被害状況をみると死者五人、負傷者八人、行方不明四人、住家全壊一六〇六戸、住家半壊一四九〇戸となっている。被害報告の数字を見ると、この台風がいかに猛烈だったのか、が分かる。この年、台風被害により天皇・皇后陛下から救恤金四〇〇〇円の下賜を受けている。
 台風被害は各島々で見られ、石垣島地方気象台には台風一過後の様子や被害の実態が数多く写真撮影されている。数ある写真を見ると自然の恐ろしさを感じさせる。
 上の写真は場所不明だが、被害状況を撮ったものである。家屋が倒壊し、材木が四方八方に散在して山積みになっていて、暴風の激しさを物語っている。屋根の赤瓦は、あちこちに散らばっている。
 写真に写し出されている家族は、倒壊したわが家に一家四人が座り込んで茫然自失。なかにはケガをしている人もおり、明日への夢や希望を失いかけているようだ。台風が過ぎた後、大人は残骸の後片付けに懸命に汗を流す。子供たちは、目標もなく何をするのでもなく、倒れた家屋を眺めている。
 八重山の人々は、シーズンになると台風と闘っている。建築物はコンクリート等で堅固にすることで守れるが、農作物はそうはいかない。台風が発生するごとに被害があり、その被害額は甚大である。台風は天災とはいえ、人々の経済生活に影響を及ぼす。

竹富町史編纂委員 通事 孝作

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