≪自然の恵みを全国へ≫
西表の農業といえば稲作が中心であるように思われるが、住吉で西表の気候の特性を活かして熱帯果樹栽培を行う池村英勝さんがいる。
「西表島で生まれ中学までこの島で育ちました。高校は石垣に行き、専門学校は本土で学び、そこで就職しましたが、西表島の生活が忘れられずUターンしました。島へ戻ってからは、父から譲り受けた田畑を耕し、パイナップル、マンゴー、バナナ等の果樹栽培に専念しています」
池村さんの「アララガマ農園」では、パイン・マンゴー・島バナナ、パパイヤなどが栽培され、注文は全国からくるほどの人気となっている。「南の南のパイン」と名付けられたゆうパックは、夏の最盛期には1日に400個を超える数の西表産のパインが全国に送られていく。
「島の自然を生かし旬のものを育てる。西表島の気温は、沖縄本島に比べると平均で2度程高く、熱帯果樹栽培には最適です。この気候風土を生かし、消費者に安心な低農薬、有機肥料を心がけています」
池村さんもできるだけ自然にやさしい農法を取り入れている。労力やコストがかかっても長い目で見ればそのことが、いい果実を実らすし、安定した品質を保つことができると考えているのだ。
「一時期はいろんな果樹の栽培を試みましたが、コスト高・価格が低迷したりしてうまくいきませんでした。いろいろやりましたが、現在は自信を持って出荷できる作物を作っています。だけどもっと西表の気候にあった果樹があるかもしれないから、いろんな情報をキャッチしてチャレンジ精神を持ってやっていきたいです」
西表で収入を得るという意味では、稲作や畜産をした方が一番いいのかもしれない。どんな作物もそうだが、特に果樹は台風が一番怖いという。果樹を台風の被害から守るため、ビニールハウスの建設や暴風ネットの活用などコスト面でも厳しいものがあるという。しかし毎年、池村さんのパインを待っている人たちがいる。
「西表の自然の恵みが全国に届けられるというのは、とてもうれしいことです。それがあるから続けられるし、大きな励みにもなっている」
今年も「アララガマ農園」でとれたパインやマンゴーが、いっぱいに船積みされていく光景が見られるはずだ。
≪エコツーリズムという観光≫
自然と人間のバランスでいえば、農業だけでなく西表の観光も未来にとって大きな要素となってくる。エコツーリズムとは「その土地の自然や生活文化を傷めることなく持続させていくことを活動の最低条件とする」とある(ヤマナ・カーラ・スナ・ピトゥ│西表島エコツーリズムガイドブックより)。西表島におけるエコツアーとは、一般的には、ガイド付きのカヌーツアーを指すことが多いらしい。
「最近ではエコツアーが人気になり多くの観光客がエコツアーを求めてやってきます。実際うれしいことなのですがエコツアーにはガイドが必要で、ガイド不足は否めない状況です」
西表エコツーリズム協会の平良彰健さんたちが、西表が企業からの資本に頼らず自力でやっていくための目指す方向として選んだのが「エコツーリズム」を推進しようということだった。多くの時間と労力をかけて1996年5月に、日本で初めての西表エコツーリズム協会が誕生した。そして1997年全国規模の「エコツーリズム推進協議会」も沖縄で発足した。西表エコツーリズム協会は世界的にも貴重な西表島の自然を大切にしながら、この自然と共存してきた人々の歴史と文化を基本とした西表島らしい新しい旅行のあり方を目指して活動を具体的にすすめている。
ガイド不足ということは、そこに地元の人たちは興味を示さないんだろうか。実際には地元の人でエコツアーのガイドをやっている人は少ない。
「地元の人は生活する場所である西表の自然を、言葉巧みに説明することがうまくできないんじゃないかな」
そのことは西表のエコツアーが確立される途上にあるからのように聞こえた。見て知識を伝えるエコツアーから、体験できるエコツアーへと成熟していくとき、必ず地元の人が持っている自然に対する接し方の感覚が必要となってくるだろう。
朝一便の船で石垣からきて由布島や浦内川、マリュウドゥの滝、カンピラの滝を一気に早足で巡ってくる。そして疲労感を抱えながらまた石垣に帰っていく、という観光は確かにこれまでの西表の観光には大きな位置を占めていたかもしれないが、これからはもっと西表を理解してもらえる観光のオプションを多く持っておくのが大切だと思う。浦内地区に大型宿泊ホテルを建設する計画がある。これからは滞在する観光客にどのような西表の観光の仕方があるのか。
「エコツアーでの売上げの一部を西表の自然環境を維持する基金としたらどうだろうか。そういうことで少し料金が割高になっても自然を求めてくる観光客は納得するのでは」とは西表でエコツアーに参加した人の言葉である。エコ基金、グリーンマネーなど西表の自然のためならと喜んで人はお金を落としてくれるのではないか。西表型のエコツーリズムの確立が望まれる。
≪古き歴史の泉あり≫
祖納部落は西部地区の中でも歴史のある部落である。現在、祖納公民館長を務める石垣金星さんは、1985年頃「西表ほりおこす会」を発足させた。
「祖納半島は、現在の祖納よりも一段と高くなった上にあるのが通称『上村』で、現在の集落は『下村』という呼ばれている。上村は古い時代の祖納の中心地で中世から現代までの西表の歴史ドラマのメイン舞台となった場所」
石垣さんは自分の生まれた場所である西表の歴史を掘り起こすことで、西表から見える世界観があるという。祖納半島に14世から16世紀初めにかけて大竹祖納堂儀佐と慶来慶田城用諸という2人の英雄が登場する。大竹祖納堂儀佐は、大陸方面から鉄をいれて鍛冶をしていた人物であり、慶来慶田城用諸は、1490年代祖納半島に登場し、西表の頭として政治の表舞台で活躍する人物である。
「西表の歴史の舞台となった祖納半島の半分は、戦時中に当時の陸軍省に強制接収されたままで元の地主に返されることなく、現在は大蔵省が管理している。祖先代々の土地を荒らす訳には行かないと大蔵省に借地料を払い畑として耕しているのが実情」である。
上村は祖納の伝統的神行事「国指定重要無形民俗文化財である西表島の節祭」のはじまりの地であり、それをつかさどる重要な聖地である御嶽が3ケ所もある。古い集落跡も残っている。
10年にわたる発掘調査報告からもいかに沖縄の歴史を解明する上で極めて貴重な重要遺跡であるかが明らかにされている。
「この上村遺跡をしかるべき整備をして、かつて大竹祖納堂儀佐がこの丘より遥か南を眺めたように西表の未来を見つめる歴史の丘にしたい」と石垣さんは願っている。
上村を歩いてみるときひっそりとした空間に包まれて、何となく夢の跡のような気が起きてくる。歴史が私たちに問いかけてくるものは、島の未来と関連してくるはずである。
上村を整備することで、人がその地に生活することを誇りにできるならそれは先人たちからの大きなエールとなるのでは ないだろうか。
≪西部地区という連帯感≫
西部地区には祖納・干立のように古い歴史を持つ部落もあれば、入植して50年余りの日々を重ねてきた部落もある。昔からの部落は高齢化が進み、青年層が少なくなってきていて寂しさを感じる。
それに比べて上原地区は人口も増加していて、西部地区の拠点となりつつある。島外出身の移住者も多く活気があるように感じる。それぞれの地域において様々な現象があるが、西部地区全体で考えれば人口は増加している。各部落、部落には誇るべき文化や伝統があり、そのことは独自で継承したり解決をしていかないといけないことだが、しかしそういうこととは別に西部地区全体で取り組まなければならないことがあるように思える。
東部地区に役場が移転した場合、それに伴って西部地区にも役場移転のメリットがあると思う。しかしそれは必ずしもプラスの要素だけを含んでいるのではなく、西表全体が東部地区に偏るようなマイナスの要素も含まれているのではないか。
「西表の豊かな自然を前に先人たちは、開拓精神をもって前に進んできた。現代に生きる私たちもその姿を見習ってこの時代を乗りきって行かなくてはならない。厳しい状況のときに力を発揮するのが西表(ばしま)の人だから」
自然と向き合う生き方を忘れないことが、西表の開拓の精神の根本であり未来につながると思う。