「果報ぬ島」を象徴する5つの顔

「果報ぬ島」を象徴する5つの顔
「果報ぬ島」を象徴する5つの顔
「果報ぬ島」を象徴する5つの顔
「果報ぬ島」を象徴する5つの顔

平田清さんの「小浜島ふるさと農場倶楽部」にやってくる若者たちはあとをたたない。時代は島にむかっているのだ。仲盛長儀さんは島の豊かな自然と農業に育まれた独自の文化を大事にしたいと考えている。大城清一さんはゆったり構えて長い目で漁業の未来を見つめている…。島人をつなぐ長い糸があれば、島の未来は見えてくる。

≪島に帰る島を考える≫
 黒島精耕さん(64)は、定年退職後、小浜島に家を建てた。教員生活で八重山の島々をまわっている間は石垣に住み、そして退職後生まれ島小浜に帰ってきたのである。
 自著『小浜島の歴史と文化』の出版祝賀会で、小浜島に帰って五穀を作ると宣言し、今年は米、粟を収穫した。
 「稲作りをやったら、祭りや古謡が今までとは違って見えてきた。その心が理解できるような気がする」
 裏の畑に、収穫した稲を積んでおくシラまでつくった。野菜をつくり、バナナを植え、月桃、テッポウユリを植え、福木にはタナン(ダンナー)を架けた。
 「原(現)風景の中に自然と文化の本質をさぐるというか…」
 黒島さんの表情は、まるで好奇心旺盛な子どものように、島の自然や文化に触れ味わうことのできる喜びにあふれている。ふるさとへの愛着もあるのだろうが、自然といい、文化といい、それが身近に感じられるというか、小浜島はそういうことをしたくなる島なのだろう。
 「21世紀小浜島村づくり基本構想(案)」もつくってみた。近いうちに公民館に提案するつもりだ。
 構想は「うるおいのある村」づくり、「夢のある村」づくり、「文化の花咲く村」づくり、の3つの指標を掲げ、村づくりの指針と進め方に言及し、「小浜島を象徴する5つの顔」をあげている。5つの顔とは
 1.うふだきに象徴される自然豊かな「世果報の顔」
 2.さとうきびと牛と養殖モズク等で潤う「くらしの顔」
 3.うたき信仰と五穀に根ざした伝統ある「まつりと芸能の顔」
 4.リゾートはいむるぶしと八重山唯一のゴルフ場でにぎわう「観光と交流の顔」
 5.NHKが風光明媚で人情ゆたかな島人に託した朝のドラマ「ちゅらさんの顔」である。
 このうち4のゴルフ場と5の「ちゅらさん」については、島のごく最近の顔。今後の小浜島はこの4と5の顔をどう創っていくか、つまり観光を島のなかにどう位置づけていくかが課題になりそうだ。それと、開発や観光入域客増加にともなう自然破壊の心配もある。
 実際、朝夕の定期船はゴルフ場の工事に通う人たちと観光客でいっぱいだし、バスはひっきりなしに島内を走り回っている。
 これまでの自然と文化の果報の島を守りつづけることができるだろうか、またどうすれば経済的にもゆたかになることができるだろうか。小浜島はどこへ向かっているのだろうか。

≪農業が守る島の文化≫
 これまでのように農業を中心にした島づくりをというのが小浜公民館長・仲盛長儀さん(57)の意見だ。黒島さん同様、島の文化を継承発展させていくために農業は不可欠だと考えて、ご自身も米とキビを中心に生産している。
 「農業は大変だけども、素晴らしい。小浜節にうたわれているように、小浜の象徴は稲。種子取りにはじまり、田植え、草葉願、物忌…収穫。そして、初穂を神に感謝して捧げましょう、と歌うわけです。自然とのたたかいだから、本当に神に祈る気持ちになる」
 小浜節のことをすこし紹介しておこう。他地域でよく耳にする小浜節とここで謡われる小浜節は歌詞も歌い方も異なる。たとえば歌詞は次のようになる。小浜島の豊かさを表現した2番の歌詞はよく知られている。
 一、だんちょ てゆまりる
    小浜てる 島や
    大岳ば くしゃで
    白浜 前なし
 二、大岳に 登てぃ
    押しとみゆ見りば
    稲粟ぬ なうり
    弥勒 世果報   (略)
 歌い方は、他地域の穏やかでゆったりした歌い方より勢いがあって調子がいい。小浜島の「国歌」にふさわしい歌詞の内容と歌い方である。
 小浜節にうたわれた自然、豊年祭や結願祭などのまつりと文化、共同体、ユイマール…それらは島の秩序と「長老を敬う美風」(黒島)をつくった。小浜中学校3年の目仲朝美さんは、少年の主張八重山地区大会で次のように言っている。
 「小浜島では行事や祭をするときは島の人で一致協力し成功させるように努めています。またとてもお年寄りが多く、その多くが元気で畑や田んぼで汗を流しています。島の人は大変お年寄りを尊敬し、行事では長老から座っていく習わしになっています。都会で失われたものがこの島では生きています。(略)小浜島の人たちは自分のことのように他人に接する優しさを持っています」きた伝統の良さがつまっているからなのだという。「なぜこれがいいのか、それを理解してもらうしかない」とキッパリ話す。
 その上で、ある若い調整委員から「今は若い人たちが中心になって委員をやっています。そんな中で、今までの例だったらすぐダメだったのも、許容範囲がだいぶ増えて、若い人も少しは島に住みやすくなっているんじゃないかな。時代と共に便利さも変わっているし」という意見があったのも見逃せない。快適さのみ求めると、島の風景が消えていくはめになる。伝統を守り過ぎると、若い人が住まない島になる。守るべき伝統と、住民のための快適さ。どちらが大切とは言い切れないが、どちらか一方に頑固にしがみつき過ぎると、どちらの道もいずれは先細りになっていってしまわないだろうか。判断をまかされる調整委員自身の認識に期待を寄せたい。

≪製糖工場をつぶさないために≫
 現在の島の農業はサトウキビが中心。稲作は減少して、最近若者を中心に畜産がさかんになっている。
 「竹富町では唯一の地元資本である製糖工場を潰してはいけないと、また、寄留民の子どもとしてこの島に生まれ育った恩返しをしなきゃと、会社と心中するつもりで腹をくくって」赤字つづきの小浜糖業の社長に就任したのが金城聖吉さん(76)。以前は海運業を営んでいたが、請われて「畑違いの」工場経営に加わった。
 「工場を潰すことは農業を潰すことになる」と仲盛さんも言う。農業を潰すことは島の文化をつぶすことだ。
 現在キビの収穫は5千トン弱。工場が黒字に転じるためには6千トンの原料(キビ)が必要だといわれる。そこで小浜糖業は原料増産のために農務部門を切り離して小浜島ファームを設立した。
 代表取締役の大久研一さん(36)は本土からの若者3人とキビの栽培に励む。キビ作農家の農作業の代行なども行い当面千トンの増産が目標だ。「再来年にはそこまで…」達成したい。
 「原料が増えれば三盆糖などの新しい製品も開発できるし、工場で働く人も増える」
 ところが、仮にそうなって工場のほうがうまくいったとしても問題は農家のほうだ。キビだけでは生活できないというのが現状のようである。「遊んでいる畑はもうほとんどない」(大久)から規模を拡大しようとしても難しい。畑を有効に活用するか、別の仕事で副収入を得るか…
 したがって、若者は島を出て年寄りが農業をしているというパターンが多く、島に2世代、3世代で暮らしているという家族は少ない。

≪アイディアが島をゆたかにする≫
 そんななかでアイディアを活かして畑を有効に活用している人がいる。
 平田清さん(68)。南島詩人平田大一のお父さんだ。
 まず、黒ゴマの栽培。キビ刈りの終わった畑にゴマを蒔いて3か月で収穫する。つまり次のキビ植えまでの間にゴマを作って収穫までしてしまうのである。土地は肥えるし、かなりの収入になる。一石二鳥だ。
 「170万あがるキビ畑からゴマが3か月で100万から120万。これを夏のボーナスと呼んでいる。農民にもボーナスがあっていいじゃないか。なっ」と笑う。
 去年「黒ゴマ生産組合」を結成した。現在18人が参加、去年は2トンあまりだったが、今年は4トンの収穫が見込まれる。(キロ約2500円)
 キビに比べると黒ゴマの収穫は容易で、「お年寄りでも大丈夫。キビは若者が、ゴマはお年寄りが中心になってやれば、仕事も分担できるし、長続きできるからキビも安泰」ということになるかもしれない。「今、波照間からも石垣からもゴマの種子をわけてくれと来るけど、小浜の特産品にしてからだと言ってあるんだ」
 平田さんはまたパインのオーナー制度というのもやっている。3株3千円でパインのオーナーになってもらい、実の収穫は「取りに来てもらう」のが約束。取りに来ることのできない人には2回までは着払いで送ってあげるが、あとは自分で取りに来ないともらえない。
 管理は平田さんがやる。が、ほとんど実際はパインの収穫に来たオーナーたちが喜んで草取りまで、しかも他人のぶんまでやってくれる。オーナーは6月末現在272名。
 「オーナーになったらTシャツを1枚あげます。これが2500円ですから、500円しか残りません。が、オーナーたちはほとんどがウチの民宿に泊まってくれます」
 損して得とれ、というか、もしも300名のオーナーが1年に友だちを1人つれてくるだけで平田さんに、ということは島にも結構な経済効果があることになる。
 ここに「ちゅらさん」効果とはまた違った形の「観光と交流の顔」がある。アイディアの勝利である。
 が、アイディアはそれだけではない。キビ、ゴマ、パイン、民宿…。平田さん1人では到底まかないきれない。若い働き手が必要である。そこで平田さんはキビ刈り援農塾の延長線上に「小浜島ふるさと農場倶楽部」をつくった。
 キビ刈りの時期だけでなく、1年通して若い働き手を受け容れた。かといって賃金を出すわけではない。宿泊と食事の面倒をみ、三線や踊りを教えたり島のことを話して聞かしたりするだけ。それでも応募者は引きも切らずいる。遠い南の地の風に触れ土に触れ人情に触れるためにやってくる若者は多いのである。
 夜は宴会をやる。若者たちは習った三線や踊りを披露する。そこに、はいむるぶしにやって来た観光客を加える…。平田さんのアイディアは尽きない。異種交配…それぞれ異なるものをつなげて新しいものをつくる。評論家・大宅壮一の造語だが、小浜島にそれを実践している人がいる。

≪養殖モズクにかける≫
 もうひとつの第一次産業、細崎の水産業はどうなっているか、どこへ行こうとしているか。モズクの養殖をしている大城清一さん(54)に聞いた。
 「電灯もぐりなど一部を除いては漁業はきびしいはずですよ。海では年間300万も稼げないじゃないかな。ひと月100万という時代もあったけど…。マリン関係も(客は)西表あたりに流れているみたいですよ。…モズクも去年今年とよくなかったですね」
 モズクの養殖を始めたのは1992年、細崎では10人あまりでスタートした。が、4年ほど良くない時期がつづくとみんなやめていって大城さん一人になった。
 ここ2年は豊作貧乏だが、大城さんはやめるつもりはない。「良いときもあったから」だ。また「海のものはやがてなくなるだろうと思う」からだ。
 一昨年までは県漁連を通して個人で出荷していた。が、昨年から八重山漁協を通すことになった。結果、生産の割り当てのために3分の1を「流し(棄て)」た。しかし大城さんはゆったりと構えている。
 「良いときもあれば悪いときもある。目の前のことだけでなく長い目で見る必要がある。みんなが一緒にやろうというのに、自分だけというわけにはいかないさ」
 漁協が頑張って販路さえ確保できれば、養殖は確実に生産できるから、それほど高く売れなくてもいいと大城さんは言う。それに八重山の養殖モズクは反収がいい。1枚の網(150センチ×20メートル)から沖縄東海岸の養殖モズクは80キロだが、大城さんは150キロ出す。「八重山の海に合っているんじゃないかな」
 島の東側の海で養殖をしている。細崎の近くではダメなのかと聞いたら、そうじゃないと言う。
 「天然モズクを採っている人もいるから、邪魔しちゃ悪いからね」
 大城さんに教えられることは多い。

≪共存共栄、島のバランス≫
 はいむるぶしに石田靖彦社長を訪ねた。島の観光を考えるとき、はいむるぶし抜きには考えられない。
 「現在のコンセプトは、園内丸ごと動物園・植物園。子どもには夢を、大人は童心に帰れという環境を提供すること。将来目指したいのは、バリとかタイのプーケットのようなリゾートのイメージ」というから、ゴルフ場ができても「ちゅらさん」のようなことがおきても従来通りのリゾート型ホテルとしてやっていくというのが、はいむるぶしの姿勢である。
 したがって、「島全体が観光地化して観光バスがバンバン走っているような風景よりも、お客さんが自転車でのんびりと回れるような島のたたずまいがちょうど良い」と思っている。
 が、(はいむるぶしのものではないのだが)ゴルフ場ができる。
 「ゴルフ場と港を行き来する車は増えるでしょうが、集落までどれほどの影響が出るか…。むしろゴミ処理の問題、護岸工事、土地改良の赤土問題が大きいんじゃないでしょうか。観光客がこれを見るとがっかりしますよ」
 小浜の海は美しい、と思う。大岳から見る海も、集落から見える海も、はいむるぶしの海も、どこもいい。
 大嶺校長は「小浜の海は本当に美しい。小浜をちゅらさんの舞台に選んだのは、さすがNHKだと思います」と感嘆していた。
 しかし、その美しい海も知らず知らず汚され浸食されているようだ。
 「ウミンチュとよく話すんですけど、海底の様子も変わってきているらしいし、砂も削られていますね。このあたりの海岸の砂は、冬に北から南に流れ、夏に南から北に戻って循環していたんですが、防波堤を作ったら戻らなくなった」と細崎に住む藤吉浩次さん(44)は言う。
 藤吉さんが初めてこの島に来たのは19年前25歳の時。当時博多で歌手活動をしていたところ、はいむるぶしで歌ってみないかと誘われて2週間滞在した。その後6年間に8回往復。東京へ行って歌手になる夢をあきらめて小浜島に住むようになったのは「美しい自然と砂浜と星と、それらにいつも語りかけることができる空間」があったからだ。
 だからいつまでも変わらぬ美しい小浜島であってほしい。
 そしてさらに小浜島の未来を思い描くとき、はいむるぶしで働き、学校で5年間教鞭を執り、いま細崎に住んで思うのは「それぞれが共存共栄していければなあ」ということである。
 共存共栄…。はいむるぶしがこの島にあることのメリットを石田社長は税金、雇用、食材の購入、若者の定住、子どもの増加、社宅…とあげる。
 1775年のオープンから25年あまり。年間3億の赤字をだしていたはいむるぶしは、6年前に親会社から分社して営業努力を重ね、経費節減に努めて今や年間5千万ちかくの経常利益を生む優良企業である。
 「もうここが本社ですから、ここが好きでないと残れない」(石田)

 バランスでないですかねえ、と仲盛公民館長は言う。
 大岳に登てぃ押しとみゆ見りば…
 果報の島・小浜島は豊かな自然に彩られ、農業を中心とした暮らしの中に息づく伝統文化、東にはいむるぶしとゴルフ場、西に漁業の細崎…
 さて、これら5つの顔をバランスよく配した島づくりができるかどうか、島人の英知にかかっている。

やいま編集部

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