道の突き当たりに置く魔除けの石である「石敢當」は、沖縄県内だけでなく全国各地に拡がってあります。
石敢當が最も多いのは沖縄県で、日本の石敢當の分布の北限は北海道の函館市で、また史料に登場する日本最古の石敢當は、大分県臼杵市にあったものです。
石敢當は、戦後あるいは最近造立されたものであるが、250年以上も前に造立された銘のものもあり、県や市町村指定の民俗文化財になっているものもかなりあります。
≪石敢當の表記≫
石敢當に刻まれた表記には、八重山でも「石敢當」がもっとも多く見られます。
この表記と異なる石敢當は、登野城・大川・美崎町・黒島東筋に「泰山石敢當」が一基、白保・平得に「石巌當」が一基、登野城・明石に「石敢当」が一基、登野城に「石敢堂」、与那国祖納に「石岩當」「石岩堂」が一基ずつみられます。
また、何も文字の彫られていない自然石に石敢當の機能が考えられるものがあります。
全国的に見て石敢當の設置目的は、魔よけ、除災(疫病や大火・水害からのがれる)招福の他に道標を兼ねているもの、交通安全を願うものなど様々である。
また、その設置場所も、集落の入口や鬼門(北東の方角)、道路の要衝、T字路のつき当たり、路傍、橋のたもと、寺社の境内、学校の庭園、駅前、ビル・デパートの出入口、住家の門・庭・塀の一部など、いろいろ。
素材の石も白みかげ、黒みかげ、安山岩、凝灰岩、砂岩、頁岩、流紋岩、青石、石灰岩など多種多様である。
形状は、長方形の石碑風のものが多いが、四角柱のものもあり、円みをおびた自然石のものも少なくなく、稀に三角柱のものもある。
大きさも大小さまざまで表札ぐらいのものから、50b~1m位のもの、もっと大きいものでは丈が180bのものもある。
石敢當は中国から伝来した習俗ですが、現代の八重山にも親しまれ、すっかり定着しています。
石敢當を探しながら街を歩くと、意外なところで見たり新しい発見があるかもしれません。
【石敢當(いしがんとう・せきかんとう・シーガンタン)とは何か。】
その概要については、「辭源」(北京商務印書館・1984年)の解説が最も的確、簡にして要を得ている。
唐や宋の時代以来、住民の家のかどぐち、あるいは、市街地や村里(大通りや町や村のこみち)の入り口に、常にひとつの小さな石碑を立て、それの上の方に「石敢當」という三文字を刻みこんだ。
思うに、これを以て、めでたくないことや災難を圧迫し、禁ずることができるようにしたのである。
中国に始まった厭禳(ようじょう・祈りやまじないで悪魔を押さえ、災害や不祥を払い除く)のために石敢當を造立するこの風習は、琉球・九州に伝わって日本本土に拡がっていったものと思われる。