与那国の海は透明度、透視度において世界が認める美しさです。ダイバー天国といわれ、水中カメラやウォッチングでワイド派には大型回遊魚、地形、マクロ派にはヘルフリッジ、アオマスクの小物などがたくさん見えます。その素晴らしい海をどうにかみなさんに紹介できないかと、私が趣味と実益を兼ねていたダイビングを生かして、今から13年前、昭和61年にダイビングサービスを作りました。まず最初にダイビングマップを作り、ダイビングポイントを探さなければいけないので、スタッフとポイント探しをしていました。
「最初に遺跡ポイントに潜ったときにどういうことを感じたか」とよくマスコミの方に尋ねられるんですが、ちょうど新川鼻沖をずっと探していたところ、眼前に広がる異様な構造物にびっくりしまして、身の毛がよだつような思いでした。普通ポイントの名前というと地名や、亀がいっぱいいるので亀ポイントなどと見たままを付けるんですが、即座にここは『遺跡ポイント』だと名前が浮かび上がってきました。
当時の与那国の海の目玉は、ハンマーヘッドシャークといって、金槌の形をした撞木鮫(シュモクザメ)という体長3mくらいのサメでした。船に乗ってわずか2~3分のポイントで見えるということでダイバーが多く来るようになりまして、私たちはそれに続く目玉として遺跡ポイントを世に出そうとしていました。
NHKの番組で、視聴者がビデオを投稿する『ビデオだより』というコーナーがあるんですが、6年ほど前、それに与那国の遺跡ポイントということで出したところ、各マスコミの方の目に留まりました。その後沖縄トラフを紹介する番組で、木村先生が中城神殿のように屋根のない神殿が海底にもあるんだということで取り上げて下さったり、翌年には琉球新報の新年特集で出た記事も引っ張りだこになりました。
遺跡ポイントは島から100m位離れており、東西に200mあり、規則正しく東西に線が伸びています。ここに8回おいでになった『神々の指紋』の著者、グラハムハンコックさんは、方位学からいって遺跡であるとおっしゃいます。そういうことでたくさんの先生方がお見えになり、出会いがあり、私も勉強させていただいてきております。
さて、話は与那国の巨石文化に移りますが、この海底遺跡が初めてテレビ放映されたときに沖縄テレビの方から一枚のファックスをいただきました。1962年の琉球新報で、東京都立大学の民俗学者の金子エリカ先生が与那国島で巨石文化を発見、という大きな見出しの記事でした。大きな大きな石たらいにびっくりされ、庭先に鎮座しているのはすごく珍しいということで新聞に載っていました。
それからいろんな先生方にお会いして勉強させていただいたんですが、私は浦野墓地にあるお墓も巨石文化の一端でないかと思っています。与那国島では人が亡くなりますとご遺体を安置します。外国のピラミッドでもご遺体を安置しますが、その縮小版が与那国のお墓だと思っています。というのは東京大学の岩石学の石井揮秋先生が2度お見えになりまして、お墓をお見せしたところ、遺跡に似ているところがたくさんあるとおっしゃったんですね。建築物やお墓にはふちどり(カサギ)があるらしいんですが、それが海底遺跡にも見えかくれすると。石の割れ方も不自然であるともおっしゃいました。私はお墓と遺跡の構造物の関係を、先生方やお年寄りに聞きながら、研究しているわけです。お墓の両サイドには、人間に上がれないような階段が必ず2段あります。海底遺跡の、木村先生がメインテラスと名付けられた所にも人間には上れないような階段がありまして、私は当初は石切場じゃないかと思っていたんですが、今はその遺跡の下には与那国の素晴らしい方のご遺体が安置されているんではないかと思っています。
お墓にしろ石たらいにしろ、財と力がなければ大きなものは作れないと思います。昔与那国でお金のある方は石を切り出して家の塀にしたり壁にしたりしたそうです。金子先生の巨石文化を見たという記事を見て、今お話ししたような巨石文化かと思われるようなことも、与那国島に以前から住んでいた人々から受け継いできた文化のひとつではないかなと考えております。
こういった機会に、町民、役場が一丸となってこの与那国島を内外にアピールし、少しでも島おこしにつながればと思っております。今、木村先生が一生懸命頑張って、遺跡文化を世に出して下さっています。それを諸外国の先生方がご自分の著書に書かれたりしますが、外国から研究者が来て遺跡ポイントの石を持っていってしまったりと、私たちは困っている点もあるわけです。そのあたりも考慮していただき、早めにいいように網をかぶせていただきたいと思います。
与那国の海底遺跡については未公開のこともたくさんあります。そういうものを徐々に出していきながら、この与那国島を豊かなきれいな美しい島にしていきたいと思います。