ダン・タナーともいい、木の上に作る棚のことである。タナが転じてダンとなり、接尾語の「ナー」がついてダンナーと呼ばれた。
雪国の子どもたちがかまくらを作るように、暑い島の子どもたちは木陰にダンナーを作った。はしごを架け、ブランコを作り・・・と、材料とアイデア次第で遊びは広がった。木登りができることは女の子にとっても自慢であった。
扇風機がないころであり、子どもがいないときには、大人も失礼してダンナーで涼をとった。また大きな行事があるときは、見物用のダンナーが作られ、招かれた人々が上がったという。
≪空中基地≫
ダンナーの上は子どもの世界であった。そこは涼しく、点々と並ぶ赤瓦や遠くには海を眺められ、そして大人たちの世界を見下ろせるという優越感も味わえた。40年くらい前まではあちこちに作られていたというダンナー。それだけ、福木やイヌマキ、ヤラブ、桑などの大木が庭を囲んでいたということである。枝を広げた木々は大きな緑陰をつくり、そこは珍しい鳥や、あらゆる蝶、、虫たちの棲み家でもあった。鳥や子どもがつまむ実もなった。渡り鳥も時期が来ると必ず姿を見せていたという。庭先はちょっとした森のようだった。
≪作って寝て遊ぶ≫
子どもたちは枝の張りを観察し、検討して材料を集める。床下や近所から板や木切れを持ち出したり、山から竹を切り出したり・・・。お風呂を焚くための廃材や薪も役に立った。枝の間に木を渡し、縄や釘でしっかり固定して骨組を作る。その上に床となる板を取り付けると2、3畳の空間が出来上がった。隣の木にも棒を架け、木から木へ、ダンナーからダンナーへと縦横無尽に飛ぶヤマングーもいた。
生い茂る葉に包まれて、ダンナーは隠れ家でもあった。おしゃべりをし、まんがを読み、宝物や大切な遊び道具もそこへ隠した。ゴムカン(パチンコ)で小鳥を狙ったり、道行くおばあを驚かせたりもしたそうだ。夏休みの宿題もしたが、すっかり眠り込んでしまい、家族を騒がせることもあったという。十五夜にはここから月を眺めた。お盆のお供え物も持ち寄ってみんなで食べた。月明かりや懐中電灯の光の中で、夜な夜なこわい話もした。
≪ダンナーに来る夏≫
そんなダンナーを現在の小学生が作った。場所は石垣少年自然の家の運動場。子どもたちは朝から作りはじめ、3時の休憩にはすでにダンナーの上にいたそうだ。高台に現れたダンナーに座ると、海から駆け上がってくる風に乗って空を飛ぶような気分であり、またいろんなにおいが運ばれてきた。
ダンナー遊びを知る大人たちは、大きな木を見ると、今でもつい枝ぶりを観察してしまうという。真夏のダンナーには、忘れられない風が吹くのかもしれない。