星見石

星見石
星見石
星見石

暦が八重山に伝わる以前、人々は一年間の時の移り変わりを星を観測して知った。穀物の生産性を高めるため、播種の日取りをより正確に判断しようと立てられたのが星見石である。星見石は、当時頭職であった宮良長重によって1670年代に立てられた。その星見は明治の初期頃まで行われていたようだ。星空観測タワーで有名な波照間島は、当時、星見が最も発達していたという。現在では、もう星見石を実際に使ったという人が存在せず、星見石自体もほとんど見られないため、星見の様子は人々の言い伝えや古文書、古謡の中に残るものとなっている。

 八重山で見られる星のうち、農耕と関わる星座の多くは東、北東から上がる。星見石は、各村のその方角が見渡せる丘、農作業を終えた人々が集まりやすい場所、井戸の側などに立てられた。それは高さ150センチ位の細長い琉球石灰岩で、一定の距離をおいて人が座り、目、石、星とを結んで観測したといわれる。登野城村今の八重山農林高校裏の畑の中にあった、立石状の星見石もその一つである。また、高い石から少し離れた所に低い石を置き、二つの石と星を結んで観測したという星見石もあったようだ。山が見える村では、その形と関連させて星の位置を見たという。

≪海と陸の星見≫
 方角を刻んだ方位石は、今でも八重山の各地に残る。星見石は立石状のものから方位石状のものに変わり、その上に竿を立てて観測した。そして、より長い竿(12尺=4メートル弱)を使うことで、星見は正確さを増していった。
 竹富町指定の文化財である小浜島の節定め石には、石の上面に、子、丑、寅…と方位を示す12個の小さな穴が開けられている。この石にも竿を立てて星見を行ったという説もある。星見は航海とも関わりを持つ。どの時期にどんな風が吹くのかを、星見により推測した。帆柱や櫂によって行った星見を、陸上に用いたのが、竿を使った星見の始まりともいわれる。

≪天の使い≫
 古文書に残る主に観測された星は、ムリ星、立明星などである。ムリ星はムツ星(六ツ星)、フナー星(クナー星=組星)ともいわれ、「すばる」を指す。種子取りの時節を知るのに重要であったこの青白色の星団は、「天使」とも呼ばれた。立明星は、オリオン座を中心とした星座である。
 星を見た姿勢や角度、時間など、星見の方法は今も不明な点が多い。しかし、経験を重ねた古老たちを中心として、その村に合った時の印を、人々は確実に星から読み取った。

石川 恭子

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