この半円形の石は、1912年に廃村となった安良村跡で発見されたものだが、当初井戸の跡だと考えられていた。
しかし、石垣市史編集室の調査に同行した前上里栄吉さん(69・伊原間在)の話によると、どうやらこれは便所だったらしい。
八重山では、便所は屋敷内にある豚小屋に併設され、用をたすと排泄物は隣の豚小屋へ流れゆく仕組になっていた。
写真で見ると、半円の形の穴に削られた石が1つの円を描くように合わさって並んでいるのがわかる。
が、この円がそのままトイレであったわけではなく、この2つの石の間に当たる部分には壁が存在し、右側の石がトイレ(人間の足が見える方の石)だったという。
また、左側の石については詳しく解明されていないため、同じくトイレの一部であったかどうかは定かではない。
今の水洗トイレ世代には考えられない話だが、その当時、豚は食料として人糞を喰っていたのだ。
それも昭和13年に禁止され、それ以降便所と豚小屋は切り離して、近くに建てるようになった。
さて、この便所跡。
興味深いところが2つあると前上里さんはいう。
「1つは石が青色であること。村跡北部河川跡にみられる青い石を用いたかもしれない。もう1つは一枚石がきれいな半円形に削られていたようだということ。当時、便所の石は大体が組み合わせて作られていた」。
何にせよ、当時のトイレの穴は半円形だったと考えられるが、気になる穴の直径は約15cm~20cm。
前上里さんいわく、「可能な大きさである。」
その穴めがけて用をたさないといけないのだが、どうみても不可能なような気がしてならない…。