前新トヨ

前新トヨ

≪楽は苦の種、苦は楽の種  前新トヨさん(88歳)≫
 機織りをしていると、時々昔のことを思い出すことがあります。
 私が台湾に着いたのは、昭和2年3月1日、18歳のときでした。
台北の専売局におられた叔父を頼って行きましたが、台湾に着くと、桟橋で「頑張ってきなさいよう」と手を振った母の姿が思い出されて、それからは夜寝るときも朝起きるときも泣いてばかりいました。
子守奉公をしてからも、家の外で泣いたこともありましたが「奉公は辛いから、よく辛抱しなさいよ」と言われた母の言葉を思いだして頑張りました。
 あの当時、竹富からもたくさんの人が台湾に奉公に行きましたが、きつくてほとんどの人はすぐ戻っていました。
後に結婚することになるお父さん(夫の故前新加太郎氏)からも手紙をたくさんもらって、昭和6年まで4年間、子守奉公、女中奉公をしました。
 「昭和6年の2月の旧正月内に帰って来て欲しい」との便りを前新の父からいただき、本人(加太郎氏)からも「何もいらない。体一つで来て欲しい」との手紙をもらい、結婚のために竹富へ帰りました。
 前新のお母さんはとてもいい人で、私が台湾に行っていたので畑仕事は何も分からずに嫁いだのに、芋の植え方、掘り方、麦打ち、大豆打ち、そして機織りを手とり足とり教えてくださいました。
結婚の翌年に、長女が生まれました。子供たちに食べさせるのがなくて、どんなに苦労したか分かりません。
 それでも10名の子供たちが、無事に成長して家庭をもって、私もたくさんの孫に囲まれています。
 「人間はね、正直で真面目であればどこにいっても可愛がられる」と教えた子供たちが、みんなに可愛がられて私も安心しています。
今は毎日、前新の母に教えてもらった機織りの音が、家に響き渡っています。

やいま編集部

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