八重山の戦争に関する著書 -石垣市・竹富町・与那国町-


八重山の戦争

八重山の戦争についてのお話。太平洋戦争末期の沖縄戦では日本国内唯一の地上戦が展開され、県民の4人に1人が犠牲になるという大惨事となりました。
八重山諸島は?というと・・・
上陸作戦は行われず、激しい空襲と艦砲射撃にさらされました。砲撃や銃撃等による直接戦争での八重山の死亡者数はおよそ180名ですが、その期間における八重山地方での死亡者数はおよそ3,800名。
戦闘以外でどうして人が亡くなるの・・・
その昔、八重山諸島では古くからマラリアの発生する地域がいくつかあることが知られ、琉球王国時代からその地域に強制移住が行われては全滅する、という歴史がありました。戦争末期1945年の今月始め、八重山各地にて疎開命令が出されました。その疎開先というのが、魔のマラリア汚染地域。結果、マラリア罹患者は当時人口の42%にあたる約18,000人。そのうちの約20%の3,647人が死亡するという悲惨な状況になりました。戦闘行為の犠牲よりマラリアの犠牲者数がはるかに上回ったのです。戦争は悲惨で残酷で理不尽なもの。
大切なものをもう二度と失わないために、戦争についての正しい理解と知識を持ちましょう。以下に紹介する本は八重山の戦争について、詳しく記述された貴重な資料です。

 

マラリア撲滅への挑戦者たち

第4回ゼロマラリア賞受賞!
八重山のマラリア根絶に尽力した防疫監吏・黒島直規氏の半生を描いたドキュメント
マラリア根絶にその一生を捧げた防疫監吏・黒島直規氏の足跡を中心に、八重山のマラリア撲滅に挑戦した人々の軌跡を描いたノンフィクション・ノベル。

 

尖閣列島戦時遭難事件 『沈黙の叫び』

尖閣列島戦時遭難事件
太平洋戦争の末期、石垣町を出港し台湾へ向かう疎開船が米軍機の銃撃を受け遭難した。一隻は爆発炎上沈没し、多くの犠牲者を出し、かろうじて生き残った人々は航行不能になったもう一隻に引き上げられ、尖閣列島魚釣島に漂着し上陸したものの、そこには食糧も無く、飢餓と病気と死との闘いが待ち受けていた……。同書は、生還者による証言や体験記、関連資料、事件発生に到った歴史の検証など、遭難事件を多角的にとらえて後世に伝える貴重な 記録集である。生還者らは思出したくない記憶をなぞり証言してくれているが、他にも癒されない傷を抱え口を閉ざしたままの当事者もいる。「沈黙の叫び」というタイトルが示すように、言えない沈黙の部分にこそ本当の事件の姿があるのかもしれない。国家の戦争は終わったが、一人びとりの心の戦争はいまも終わってはいない。

 

その他八重山の戦争関連書籍

『竹富町史』第十二巻資料編 戦争体験記録
アジア太平洋戦争中の町内の世帯別戦災実態調査、全戦没者数、戦争体験記及び沖縄戦、八重山の戦争をまとめた資料集。
各島、各集落ごとに詳細な戦災調査を行い、町内における戦争の実態を明らかにしている。特筆すべきは戦時中の集落地図を作製するとともに、さらに集落ごとに各家族単位の戦争被害を具に図表にしてあること。この資料集から戦争マラリア等の惨事を浮かび上がらせ、戦争がいかに悲惨だったかが分かる。
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『市民の戦時・戦後体験記録』 第1集
戦時中、戦後を通して、さまざまな体験をつんだ八重山の住民あるいは派遣守備隊の貴重な手記を記録しています。
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『市民の戦時・戦後体験記録』 第2集
戦時中、戦後を通して、さまざまな体験をつんだ八重山の住民あるいは派遣守備隊の貴重な手記を記録しています。
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『市民の戦時・戦後体験記録』 第3集
戦時中、戦後を通して、さまざまな体験をつんだ八重山の住民あるいは派遣守備隊の貴重な手記を記録しています。
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『市民の戦時・戦後体験記録』 第4集
戦時中、戦後を通して、さまざまな体験をつんだ八重山の住民あるいは派遣守備隊の貴重な手記を記録しています。
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月刊やいま 2009年12月号 NO197
特集 乙女たちの戦争体験2 野戦病院にて
戦争中に野戦病院(開南の暁之塔の一帯)に看護婦として勤務した4人の方のお話の聞き書き。お話しいただいたのは、伊是名米さん、宮喜清さん、玉野恵美さん、上江洲トヨさんの4人。
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