首里王府は貢献物の増産のため、八重山の島々から、田畑の作れる西表島と石垣島に島人を移住させ、土地を拓かせることをしました。各島々の人は家族ばらばらに引き離され、若い恋人たちも有無を言わせずに引き離されました。そんな悲しみやうらみを唄にしたものが、たくさん残されています。石垣島の「野底マーペー」などはよく知られています。
竹富島や黒島や波照間島から西表島に移された人たちもいました。
今回の絵は、竹富島から西表島へ恋しい男をつれ去られた娘を唄ったものです。別れの時、男は娘に「もし、古見岳の上に月が出たら、私だと思って見守っておくれ」と言い残しました。娘は男に向かって、「仲嵩の上に雲が湧いたら、私がそこにいる」と思ってくださいと言います。そんなことで何時までも変わらない自分の気持ちを伝えあったのです。その頃は、石垣や西表では、怖いマラリアが流行っていて、再び生きて会えるかどうかわかりません。その時の恐れがひしひしを伝わってきます。