オヤケ・アカハチ その1

 白保はですね、遠いでしょ、昔はね、学校というのはなくて、そしてみんな平民でしょう、だから人頭税。男は十五歳から五十歳までね、コメ、アワ、ムギ、ヒエ、マメを作ってね、男は首里の王様に贈る。女はまたイトバショウをとってきてね、抜いて糸をとって、それからつむいで、そして布を織って、またお湯で煮て、さらして、また首里に納める。そんな制度がありましたがよ。今の世の中はそういう制度がなくなってね、本当にありがたいですよ。

 学校というのはね、士族だけがよ、今の桃林寺でね、勉強させたですよ。平民はもうみんな夜も昼も田んぼ、畑。それであったんだから、世の中みんなかなり大変だったよ。

 人頭税時代、八重山では自分さえよければいいということで、昔は戦国時代だからよ、人を殺して自分さえ生きていればよいというような世の中だったんです。だから、八重山にはですね、オヤケ・アカハチ、ナアタフージ、この二人は波照間出身ですよ、それが大きくなってね、石垣島によこしてね。

 ナアタフージは四箇村に、アカハチは大浜、またケライケダグスクは西表、ナカマミツケは川平、わしらの王様で、殺して自分の天下にするというような世の中であったんだけど。もう、あれの話なんか大変ですよ。

 ナアタフージという人とアカハチは波照間から来たんだがよ。アカハチという人は身体が太くてね、人の四、五倍も大きかったって、話に聞くと。だから、あの人はまったく相談もできない、反抗もできない、それでナアタフージは四箇におりますがね、あれはね、アカハチを殺してね、この石垣島を自分の天下にするということで。

 だがよ、アカハチには対抗ができない。それでね、どうして殺そうかということで、「私の妹のクイツバを妻にしてくれ」といってね、このアカハチにくれたらしいですよ。そして、この兄弟でよ、このクイツバは行って、アカハチを毒を飲まして死なせるという。こうするためによ、嫁に行かしたわけ。

 行かしたところが、アカハチは非常に人がいい人でよ、妻をかわいがってね、頭から「これを殺せ」と行ってよこしたところが、妻をかわいがるんだからよ、「ああ、ほんとにこの人はいい人だよ、もうほんとに最高なんだ」といって、クイツバもアカハチを信じるし、アカハチもまたクイツバを非常にかわいがってくれんだからよ。

>続く

【ききみみ】
 今から五百年前の一五00年「オヤケ・アカハチの乱」。八重山で一体何が起きたのでしょうか。口承文芸として語り継がれてきたオヤケ・アカハチ。伊波南哲の長編叙情詩『オヤケ・アカハチ』(一九三六年・東京図書/未来社)、子どもの歴史小説として書かれた『オヤケ・アカハチ』(一九七一年・岩崎書店)。宮良松さんのこの「オヤケ・アカハチ」伝承には、口承と書承との交錯があり、独自の語りの世界を築きあげています。

この記事をシェアする