永 六輔

今回は「いしがき市民大学」の学長に就任した永六輔さんに話を聞きました。
2月14日に行われた学長就任記念公演では、多数の市民が永さんの楽しい話に満足した様子でした。

―今回「いしがき市民大学」で講演されてのどのような感想ですか。


私自身に感想はありません。
私の講演を聞いてくださった人たちがどのように感じてくれたかが大事だと思います。
私の話の中から一つでも心に残って、生活の中で思い出してくれたらうれしいですね。

―八重山には今まで何度も訪れていると聞きましたが、最初の出会いはどういうものだったんですか。


私が沖縄に通いはじめたのは復帰する前からですから、もう30年以上になります。
年間10回以上通っているので、友人・知人もたくさんでき、その中の一人に大工哲弘さんがいます。
大工さんの同期生の招きで、18年前に歌手の長谷川きよしと初めてお邪魔して以来、八重山への想いはずっと抱いていました。

―沖縄本島と違って八重山にはどのような印象を持っていますか。


八重山は同じ琉球なのに豊かな芸能文化があり、苦しい時代を乗り越え独自性を保ち、明るく元気に伝えられているのには感銘しました。
先人たちから学ぶことも多いと思います。
ヤマトにも沖縄本島にもない八重山独自の魅力がそれぞれの島にあると思います。

―今回、「いしがき市民大学」の学長に就任されましたが、どのように関わっていきたいですか。


今回「いしがき市民大学」の学長になってくれないかという話があって最初は驚きました。
でもいままでつながりがあり、知り合いもいる八重山での市民大学に、学長として関われることはうれしく思っています。
今度の講演会でも、私の歌で出迎えてくれたり、実行委員の人たちが工夫を凝らしているのはよかったです。
学長としてやることはそんなにたくさんはないと思いますが、私がバックアップできることはやります。
開校したら今年度は何度か八重山にきたいですね。

―学長としてどのような市民大学にしていきたいですか。


もちろん本土から有名な方々を講師としてよんで講演してもらうことは大事なことですが、そうではなくて沖縄本島でも八重山の人でも地元の人に話してもらうことも大事だと思います。
今回、私の話を聞きにきてくれていた93歳のおばあちゃんに、次回私がきたときは舞台で話を聞いてみたいです。
そういう「いしがき市民大学」独自のアイディア・企画を出して、1年間受講してくれる人たちが本当に満足するようなものにしていきたいと考えています。

―これから今まで以上に八重山との結びつきが深くなっていくと思いますが、メッセージを。


市民大学のことだけではないですが、人が集まれば何かが生まれます。
大きな力となって何かができるはずです。
その中の一人として私も関わっていきたいです。
 

永六輔(えいろくすけ)プロフィール

1933年東京・浅草の浄土真宗のお寺に生まれる。本名「永孝雄」。
早稲田大学文学部在学中からラジオ・テレビ番組などの構成にかかわり、出版活動など幅広く放送文化に貢献している。1992年NHK放送文化賞、94年都民文化栄誉賞を受賞。「黒い花びら」「上を向いて歩こう」など、大ヒット曲の作詞も多く、著書も「大往生」「職人」など、ベストセラー多数。伝統工芸や芸能を守り、盛り立てようという思いは誰よりも強い。

この記事をシェアする