BEGIN

「楽器・一五一会、そして新曲」
新曲をリリースして映画出演、新楽器と新たに活動を展開中のBEGIN。オリオンビアフェストの始まる前に直撃インタビュー!

―今回、新しく創った楽器『一五一会(いちごいちえ)』についてお話を聞かせてください。

比嘉 沖縄の人が三線と関わって暮らしの中に唄があるように、全国的にそんな環境になっていったら楽しいだろうなと思っています。例えば三線でビートルズの歌を歌ったときに、どうしても偏ったイメージになってしまいます。そうじゃなくてどんな歌でも簡単に歌える楽器があればいいなという思いも込めて創りました。
 三線は和音でいうと1度の音と5度の音で構成されています。だから1度と5度の音で一つ出会いがあればいいなという思いをこめて、当て字ですけど創りました。
 
上地 最近テレビ見てると暗いニュースが飛びこんできて、最近の日本は元気ないし、その中でみんなの暮らしが明るくなって、日本が前向きになってくれたらいいなという思いはありますね。
 簡単な楽器ですぐ弾けるし、例えばおじいちゃんが孫のためにバースデーソングを歌ってあげるとか、そんなことでも明るくなるじゃないですか。
 
島袋 童謡からビートルズまで簡単に指一本で弾ける楽器なので、例えばギターをやってて挫折して家に錆びて眠っているという、40代の人や僕ら世代の30代半ばの人って結構いると思うんだけど、そんな人らにもう一度楽器を触る喜びみたいなのを思いだしてもらったらうれしいなぁ。
 カラオケで大きな声で歌うことももちろんすばらしいことだと思うけど、やっぱりもっと暮らしや家庭の中に音があったらすばらしいなと思います。さっきヒトシが言ったようにバースデーソングとかに伴奏がつくとか。
 

―今後この楽器を全国、全世界に広げていきたいですか?

 
比嘉 一五一会をやいまんちゅう(八重山の人)が創ったよって自慢したいなって感じ(笑)。こんな小さな島から生まれたって言いたいし。
 この前、鳩間島で50人のお客さんに一五一会を弾いてもらいました。それが一五一会のスタートです。最近ではメディアも発達してネットも充実してきているので、もしかしたら、全国、全世界で同時にということもあるけど、そうしたら地元がなくなるような気がするんですね。だから僕たちの新しい楽器は地元からやりたいと思いました。
 全国で弾くようになったとき「この楽器、沖縄からきたんだよ」て言われるようになっていったらいいなぁと思います。
 

―初めての地に鳩間島を選んだ理由は?

 
島袋 「♪竹富島で会いましょう」のときにもあったように、音楽は小さなものに向けた方が、のちに広く、深く広がっていくていうのもあるんだけど、ただ単純に他の2人がお気に入りの鳩間島に行きたいというのもあって、それとどれだけ島民の人数が集まっても50人くらいで、そういうところだったら、小学生からじいちゃんばあちゃんまでいろんな年齢の人に集まってもらえるので。
 

―オリオンビールの缶についての話は?

 
比嘉 まあこれは、飲んだ席で「オジー自慢のオリオンビール缶なんてあったら楽しいはずよ」とか「♪オジー自慢のオリオンビールを歌いたい人がいるのに、カラオケに入ってないのはまずいな」なんて話をしてて、それならカラオケに入れてもらうためには、シングルカットするのが手っ取り早い方法だし、その波を起こしてくれた沖縄の人たちに感謝の意味をこめて限定発売がいいんじゃないかと思って、オジー缶を作りました。
 

―そこからコマーシャルの話になったのですか?

 
上地 いや、もともとは曲を作ってからCMの話があって、そこでオリオンビールのスタッフの人たちと飲んだりする機会があって、そういう中から生まれてきたアイディアなんです。それが今、おみやげとかで人気があるみたいで(笑)。
 
比嘉 最初、僕なんかも自分たちがCMに出演するなんて考えてもなかったし、曲を書いたときにエイサーみたいに踊ってくれたらいいはず。それぐらいしか思ってなかったから、それがおさまりきらなくなって、周りからどんどんおされて、Tシャツは出き、ノボリはできて、ぞうりまでできて一番いい形になっていったと思います。これは地元にしかできないことですよね。
 

―今年2月に発売された八重山のアマチュアバンドがカバーした「LET’BEGIN」については?

 
島袋 自分らが高校の時、先輩方からいろいろ教わってきて、本当は自分たちが島に帰ってきて後輩たちにいろいろ教えなければいけない、という使命感みたいなものがあったんですけど、僕たちがいなくても石垣にはちゃんと音楽をやっている若い人が育っているんだなと思いました。
 また彼らは今の僕らの感覚とは違ってて、初めて聴いたときには、率直にうれしかったですね。
 
比嘉 僕らが聴くのはアレンジもそうなんだけど、まずは楽しんで一生懸命やっているか、もちろん彼らは技術的にうまくアレンジされているかというのが気になると思うんだけど、そういうのは後々ついてくるもので一番大事なのは今やりたいことを表現しているということだと思うんだよね。彼らはそれを見事にやり遂げてたから、本当に感動して、その感動は次につながるかな。それができた子どもたちが本当の意味での自分たちのオリジナルを創って、やっていったらいいんじゃないかな。
 僕たちも先輩の平良さんなんかに教えられてきたのは、「とにかくカバーをやりなさいよ」って。最初はコピーから始まるんだよね。コピーして、カバーしてオリジナル。その流れっていうのは絶対にそうだとだと思う。最初からオリジナルをやろうとすると、1、2曲はできるかもしれないけど、のちに悩むんだよね。だからちゃんと段階をふんだほうがいいと思うし、若い連中もどんどんでてくると思うし、それを期待してる。
 
上地 単純に「音楽好きー!」とか「俺たちBEGINのにぃーにぃーなんかのやってるぞー!」なんていう気持ちが伝わるから、本当に涙がでるくらいうれしかったね。
 八重山の子どもたちの才能の奥深さはさすがだなって思うし、どんどん、どんどん育っていってほしいなって思いますね。
 
比嘉 八重山からshinobu(DA PUMP)も含め3組出場したのは偶然ではないはずだから、唄の島八重山としての力が芽が出てきてると思うし、自分なんかが生まれ育った島っていうのは一生大切にするところだし、僕なんかが紅白にでたっていうのもあるけど、二中とかがマーチングバンドで全国で活躍してるというのも同じことだと思うんだよね。全国にいけるとか、全国で金賞とるとかは当たり前のことじゃないからね。頂点に行くためには実力だけじゃなく運も必要になってくるでしょ。この運というのも考えてみたら島が与えてくれているんだろうし。そういう意味では若い連中も怯むことなく今やったほうがいいね。
 僕が最近思うのは音楽の世界もタクシーの運転手や農業やお店やっているような普通の人たちと変わらないんだよね。音楽といったら賭けだというような特殊なイメージがあるじゃない。音楽をやっていたら人生取り返しがつかない、なんてイメージは捨てて、やってダメだったら諦めようくらいでいいと思う。
 そのためには石垣に最低限のものが揃った簡単に借りれるレコーディングスタジオなんかがあればいいと思う。どうしてもレコーディングのために沖縄本島や東京に行かなきゃってなるだけでそこにハードルができてしまうから、そういうのを島の大人たちががんばってくれたらいいと思うし、そこで自分の民謡のCDを作ったりして唄の島・八重山が盛り上がっていったらいいね。それだけのものがこの島にはあると思うし、まだ眠っている部分もあると思う。
 

―今回の新曲については?

 
島袋 ちょうど新曲を作り始めた頃にイラクとアメリカとの間に戦争が始まって、テレビをつけても戦争のことばっかやってて、曲を作っていても自分の意識がそこにばっかいってて、曲を作ることで悪いことじゃないけど、「自分たちの中で戦争なんかのために歌いたくない。もっと人々の暮らしの中で曲を作っていこう」とメンバーの中で話していました。
 エイショウに次男が生まれたときに歌詞を書いてきて、それが命の尊さとか、これから大事に育てていかないといけない気持ちとかが伝わってきたんで、「島人の宝」から1年くらいかかったんですが、その間に自分たちは暮らしの中でずっと歌われ続けていく歌を作ろうと思い今回のシングルが生まれたっていう感じですね。
 
上地 東京にいると情報も多いし仕事に追われて、ついつい暮らしているという感覚を忘れてしまって、なんていう生活をずーっとやってるんだけど、今回このシングルを作るときに1ヶ月間、曲作りの期間として沖縄に帰ってやったわけよ。この時代だからこそ、彼女、親、家族、親戚の付き合いを大切にしようって思うんですよ。石垣に住んでいると当たり前になって、歌詞の中にもでてくるように、星よりも人間が生活している街の灯のほうが美しくみえる、というようなことをゆっくりな曲ですけど、ジワジワと伝えていければなぁって思いますね。
 
比嘉 「島人の宝」と違うのは、まずはこの歌は子どもにはわからんだろう、親の気持ちが子どもにわかってたまるか!(笑)っていうのがありますね。まあみんな歳を重ねていって理解できる幅も広がっていくわけでしょ。歌も17歳、18歳のころのラブソングはいくつになっても気持ちよく歌え、それはやっぱりそのときのもので、そうじゃないときの歌を作っていけたらなぁって。
 最近の音楽業界は子ども向けの歌が多すぎるんだよね。大人が子どもに合わせるっていうのはよくないんじゃないかなって思うんだよね。大人が子どもに伝えていかないといけないんだよね。よく東京とかで「えーこんなのも知らないの!?」「知らないな」なんてよくあるけど、そんな状況はおかしいぞって。それよりも大人はもっといろんなことを知っていて、子どもたちに「こうなんだよ」って言えることが大事。だからこの歌は親たちが何回も聴いているうちに子どもたちが聴いて、なんかメロディーが地味だけど好きになって、その歌を忘れたころ成人をむかえ、また聴いたときに「なんだそんな意味だったのか」っていう長い時間かけて届いたらいいなって願望がありますね。
 

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