子供の頃から「音楽が好き」という気持ちを変わらずに持ち続け、これまで音楽一筋で活動されてきた横目大翔さん。今年10月21日に初アルバム「ぼぉのおと」をリリースされました。

─アルバム制作のきっかけ

僕は今まで、バック演奏などのサポートミュージシャンとして活動してきました。自分がメインになって音楽をするというのは避けてきたというか、正直自信がなかったんです。でも今年の頭に、「そういうことじゃないな」と思って。ソロで音楽をしたいという気持ちはあったので、自信が無いと言わずにやってみようと覚悟を決めました。小学校3年生で三線を始めた頃から数えると音楽を始めて27年くらい経ってるんですよ。今までソロで形のあるものを出したことがなかったので、27年経ってみて、「自分の作品」「生きた証」みたいなものが欲しいと思って。それがきっかけですね。

─アルバムのリリース後、反響はありましたか

反響にびっくりしてます。良い意味で全然想像と違ったんですよ。CDは千枚刷ったんですけど、正直売れるのは15枚とかでもいいやって思っていたんです。活動するときに名刺代わりに配って、10年くらいかけて無くなればいいやって。ほんとにそれくらいの気持ちだったんですよね。そしたらもうリリースして1ヶ月で250枚くらいが手元から無くなって。宮良で「白保から歌手が出たらしい」と噂になっていたらしくて。アルバムのリリースを新聞で取り上げてもらったんですよ。そしたら新聞を見た宮良に住む親戚のおばぁから「噂になってる歌手がターカーだからびっくりした」と言われました(笑)僕は今までも、CDこそ出していなかったけれど、二十何年もずっと音楽の世界でプロとしてやってたけどなぁと思って。自分の中で今回のアルバムのリリースは「自分の音楽人生の一つの節目」くらいに思っていましたけど、CDがあるのと無いのとで世間の見方ってこんなに違うんだなと思いました。今まで僕のことをなんとなく知ってくれていた人たちも、僕のことを見る目が変わってきてくれているな、アーティストとして自分を見てくれているな。という風に実感しています。

─現在の八重山の音楽シーンについて思うこと

自分よりも上の世代、例えばBEGIN世代、きいやま世代ってミュージシャンや音楽をやっている方がすごく多くて。皆さん実力もあって、盛り上がっているんですよ。でも僕はちょうどきいやまの一回りくらい下の世代なんですけど、僕らの世代は島内で活動しているミュージシャンがほんとにいないんです。同世代で昔音楽をやっていた人も、「今は仕事が忙しいから」などの理由で音楽をやっていないんですよ。ですから、僕が皆をを引っ張っていこうという思いで活動していますね。僕らの世代が盛り上がらないと八重山全体の音楽が盛り上がらないと思っていて。それは周りからも言われます。なので、僕が島に住みながらこのCDを作ったことで、八重山の音楽シーン全体に良い刺激を与えることができていたらいいなと。働き盛りでもこんなことできるんだっていう。まずは自分が行動を起こさないといけないなという使命感を持っています。

─2025年、やってみたいことは

フジロックとか出てみたいですね(笑)バンドメンバーは全員島のミュージシャンを連れて行くんですよ。それでムイチャ―を着た女性にカチャーシーとか踊ってもらって。「石垣島から来たぞー!!」「これが石垣の音楽だー!!」ってやりたいですね(笑)音楽は全然ロックじゃないけど魂は最高にロックじゃないですか?(笑)そういうのを一度やってみたいです。

(月刊やいま 2024年12月号より)

 

横目 大翔 プロフィール

1987年2月3日生まれ。ニックネームは「ターカー」

高校卒業後は島を離れ、上京。結婚を機に島へ戻り、現在は生まれ育った白保で家族とともに暮らす。アルバム「ぼぉのおと」は白保方言で「自分の音」の意。英語のBorn(生まれる)と、Note(音)をかけて「新しい音を生み出す」という意味も込められている。

 

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