春の風と光は懐かしさを呼び起こす。
「42年間学校で過ごしたから、辞めた時は淋しくてしょうがなかったですねぇ。また、家の隣が小学校でしょう、『キーンコーン…』と聞こえてきたら、ああ今は何校時だなぁと思ったりして。慣れるまでには大分時間を要しました」テッちゃん先生は学校の方を向いて、少し淋しそうに笑った。
宮里テツさんといえば、昭和の八重山の教育界に大きな足跡を残した女性教師として著名である。その熱意ある国語指導は、多くの子どもたちの作文を全国的な受賞へと導き、輝かせてきた。77歳になった今なお「テッちゃん先生」と親しみを込めて呼ばれている。
宮里さんが戦後まもなく教員の道を選んだきっかけは、意外にも米軍から支給される白いスーツと革のハイヒールだったという。戦争一色で華やかさとは縁遠かった青春時代。17歳の少女には何にもまして魅力的だったに違いない。
しかし、学校へ行けば、戦争で両親を失った悲しみまでも癒された。子どもの持つ素直さに魅了され、次第に教育を真剣に考えるようになっていく。
本土復帰前後の情熱はさらにすごかったらしい。「子どもの感性を育てたい」と仲間とサークルを発足。島の民謡を教材へ積極的に取り入れた。全国の研究会とも交流を深め、自らの向上に努めた。それらの成果はやがて、沖縄タイムス教育賞や国語教育博報賞、文部大臣奨励賞の受賞へ、その後『テッちゃん先生はろくおんてぇぷ』『テッちゃん先生のまど』の著書へと結実するのである。
「与那国で単身赴任の頃に、家事から解放されて時間とゆとりができ、原稿を書きためておいたんです」。現役まっただ中の時にまとめられているからか、生き生きとしたリアリティがある。また、収録された子どもの作文やエピソードには痛いほどの真直ぐさにジワリときた。
現在は大人のための文章サークル「すあかりの会」を指導し、10周年を迎える。子どもも大人も一緒、文章を書く一番のコツは、「す」なおに「あ」りのまま「か」ざらず「り」きまず。
「人の真似はしないこと、あなたが書いた文章はあなたにしか書けないからね、といつも子どもたちにも言い聞かせてきました」。忘れないよう、いつも胸に刻んでおかなければ―。
八重山人の肖像
写真:今村 光男 文:石盛 こずえ
第一回の星美里(現:夏川りみ)さんをはじめとする105名の「ヤイマピトゥ」を紹介。さまざまな分野で活躍する“八重山人”の考え方や生き方を通して“八重山”の姿を見ることができる。