四カ字豊年祭が盛況

四カ字豊年祭が盛況

 8月6日午後3時以降より、石垣島の真乙姥御嶽で恒例の四カ字豊年祭が開催され、多く関係字民、豊年祭に関心の深い観光客などが参集して、会場は多くの人でごった返した。
 今期の五穀豊穣に感謝し、来夏世の豊穣を祈願する石垣島最大の伝統の祭、四カ字豊年祭は5日の各御嶽でおこなわれるオンプールについで6日に真乙姥御嶽で各字が集い、奉納芸能を見せるムラプールが開催された。
 豊年祭は、各地の字会や公民館および農業関係などゆかりある団体の奉納ではじまり、五穀の授け式の後、女性によるアヒャーマ綱がおこなわれて、儀式は終了。
 場所を、昔の番所近くに移して、鎌もつ武者と長刀持つ武者が戦うツナノミンと大綱引きが行われた。
 新川字会からはじまった奉納一大絵巻は、双葉公民館、大川字会、石垣字会、登野城字会と続き、JAおきなわ、石垣島製糖、石垣市、八重山農林高校、石垣中学校、東京八重山会と次々に、旗頭、太鼓、奉納舞踊を披露した。奉納芸能が終わると旗頭が上がり踊り手が舞う喧騒のひと時の後、静かになった会場で五穀の種の授け式があった。
 この後、アヒャーマ綱がはじまり、この日のために選ばれた入嵩西尉子さんが綱引きの棒貫人役を務め、各団体の女性が合流して「さぁーさぁー、さぁーさぁー」の掛け声の下、大綱に棒を貫いて、その役を終えていた。
 この儀式の発祥が1500年代と古く、長田大主の妹の真乙姥が航海安全祈願を神にした折、無事に帰ったなら綱引きをしてみせると神に誓い、無事な帰還が実現すると、女の綱引きを実践。これが契機で、四カ字の豊年祭で女性だけでおこなわれる綱引きがあるとされる。そもそも、農業の行事であれば、貴婦人とされる意味のアヒャーマの名で綱引きがおこなわれるのは、意外も意外。当時の中世の世界観では、階級的に飛びこえたもの。しかし、階級を越えて多くの人々の心をつかむのに、女性の尽力を集めるやりかたは、なかなかの巧妙さだ。それが島最大のイベントだから面白い。

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