すべてのものに精神性がある。その出所は、発案の瞬間をどうとらえているかにかかる。いうなれば、心の動きがそこにあり、時としてそれは感動でもあり、自身がそこに何を込めているか。これをもっている人は、人のそういう部分を大切にしたいと思う。これに対して、ただ、得なことがあるはずと、試しては変更を繰り返し、変更をくりかえすことで、消耗するものに気がつかない。そういう人もある。得てしてそれにも気がつかない。すべてのものに精神性があることに気がついている人は、その発案の瞬間を忘れない。だから、続けられるし、損していても、構わない。自身にとってどういう意味があるか。その位置づけがはっきりあるから。八重山の島々は、そういう島を思う人々によって、支えられている。確かに、信じていれば対象化の必要はない。しかし、その輝く精神性は、描きたいと思う対称であれば、対象化しないではいられない。かくして、発見できるものは、次々に紹介したくなるものである。(街角で発見した安い自販機)