大都市のものを地方が使う日

大都市のものを地方が使う日

戦前、言論弾圧に屈したマスコミは、戦後2度と屈しないと決めてから時がたった。すでに資本の言いなりになって久しい。それで安閑とできた。だがもう無理だ。それを露骨に表に出したのが今回の原発事故。報道は明らかにこれまでの原発に対するつっこみの足りなさを反省していない。情報を手にできる場所。そこは、限られている。記者クラブも限界である。個人でどこまでできるか。これまで様々なメディアに出た情報を、自分で探し、自分で吟味する方法がある。インターネットもあるが、雑誌のインデックスを拾うことで、それが可能となる。大宅文庫(八幡山)や六月舎(高田の馬場)がある。ひたすら地道に情報を集めたことで見えてくるもの。そして、実際に検証するために、その現場を自ら見とどける者が、もっと増えなければ、いつまでも記者クラブの制御された情報に馴れ続ける人群を増やすばかりだ。ローカルからも、きっと利用できるはず。ローカルの前に、手本となる中央は存在しない。ローカルはローカルを基点に動かなければいけない次元にある。

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