4月24日、今年も石垣島宮良のタフナー原の明和の大津波慰霊碑の前で慰霊祭が行われた。前例のない300人という多くの市民の参加で慰霊祭は、これまでにない雰囲気になっていた。1771年の被災したあとに来た、通常の炎天下や台風に加えて、食糧難、疫病と、想像すれば、その過酷さは相当なものがある明和の大津波。東日本震災のテレビ報道で見たものが、リアルに迫ってくる。慰霊祭のこの日、菊の花を来賓に渡す係が、炎天下でずっと持っていたために、気を失うアクシデントがおこった。来賓はテントでの参加だが、職員は八重山の直射日光の下での対応。大勢が参加で、気を引き締めた職員も、規模が大きくなれば、忘れてしまうことがあり得る。注意が行き届いているようで、実際、いないものが多いかも。自信を強く持つ態度で、職員への配慮に欠ける事態は、万事単なるごり押しに見えてくる。真に大切な備えとは何かだ。挨拶を読み上げる紙持つ政治家。紙を見ないですべて覚え込んで作文を発表した中学生の思いの強さ。伝わるものが、どちらにあるか。国レベルの政治家も、伝わらないものを発して、マスコミが伝えないと文句を言う。これこそ彼らの政治活動の貧困ぶりを伝えている。多分このことさえも、気がつかないはず。