65回目の終戦記念日

65回目の終戦記念日

 1945年8月15日に玉音放送で国民への終戦が伝えられた。あれから65年。この日は日本の戦後の原点であり、以前の大日本帝国と日本の間には、大きな隔たりがある。まず、その隔たりを端的にいえば敗戦国となる前の日本と敗戦国の日本である。明治から富国強兵を軸に経済振興と領土拡張を、世界の列強と対峙して突き進んだ日本。当時、経済的な国力衰微は、西洋に侵略されることにつながる時代。植民地にされるか、するか。そういう時代に、東洋で唯一列強に加わり、アジアの国々に期待された日本だったが、アジアを守るどころか、西洋と同類の軍事力で肥え太るために利用するところまでしか、意識はすすまなかった。日本は立派な人物から先に行く。負傷し生き残る将兵を見殺しにして、全滅を「玉砕」と美名で飾り、捨てていく。この狂気を放置した最高機関である政府は、連合軍に裁かれただけである。これから、戦争を知らない世代が、自らの国のこの行為を裁く時代に入るかも知れない。戦前から続いている政府ではない。今、生きている人が組織する近代の国の機関であって、これは天皇のものでもなく、高等教育を受けたエリートのためのものでもない。しかし、そこでの当事者意識は、国民全体では希薄だ。8月15日は敗戦で生まれかわった日本であれば、原点に立つ日。失われたものの多さをかみしめる日でもある。石垣市では、新栄公園で世界平和の鐘の鐘打式(しょうだしき)がおこなわれた。約80名の市民が集い、世界平和の鐘を打ち鳴らした。世界のコインで鋳られたこの鐘は、戦争が国家間の経済的な権益の争奪が軸にあり、いわば金が問題の根底にある。その紛争の原因である金をわざわざ鋳てつくることで、経済を乗り越えて平和を実現しようというメッセージが込められている。

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