石垣島の慰霊の日

石垣島の慰霊の日
石垣島の慰霊の日
石垣島の慰霊の日
石垣島の慰霊の日
石垣島の慰霊の日

 6月23日、午前11時から八重山戦争マラリア遺族会総会が八重山平和祈念館で開催され、今年一年の事業計画案がはかられ了承を得ていた。計画では、8月29日に戦争マラリア避難地めぐりが八重山平和祈念館との共催で実施されるほか、9月23日には八重山戦争マラリア犠牲者慰霊碑の清掃を予定。当日は、アカキナノキの育樹活動(施肥など)もおこなわれる。これは八重山戦争マラリア犠牲者慰霊碑の裏手に設置された20本のアカキナノキのほとんどが枯れ死に、最後の一本を大切に育てるために、今年度から5000円の育樹活動費が割り当てられたもの。また、同碑の清掃も実施するもので、今回初の試みとなる。この日は、正午に新栄公園にある世界平和の鐘で慰霊の日の鐘打式がおこなわれ、約50名が集まって、世界平和の鐘を打ち鳴らした。この鐘は、北海道稚内市、大阪花博公園、比叡山、神戸と石垣市の国内5箇所に設置されており、世界のコインを鋳て製造され、戦争が国家の経済基盤を守るために政治的に実施されることから、金よりも平和を大切にしたいという意味を込めてコインを鋳てある。午後3時には、石垣市バンナ公園Aゾーン石碑の森で、八重山戦争マラリア犠牲者慰霊祭がおこなわれ、遺族や関係者が参列する中、65年前の八重山における軍命による疎開で3075名が亡くなった人々への無念の想いに、人々は手を合わせて哀悼の誠を尽くしていた。午後4時からは、石垣市全戦没者追悼式と平和祈念式が八重守の塔でおこなわれた。1000人を越す日露戦争以降の軍人軍属が祀られた八重守の塔で、全戦没者の追悼と、去った大戦で亡くなった多くの犠牲者を悼み、多くの市民が平和を祈願する式典で、反戦の誓いを立てていた。午後5時半からは、八重山平和祈念館で平和コンサートがおこなわれ、冒頭、宮良祐成氏が戦争当時のマラリア罹患体験を語り、その恐ろしさを集まった聴衆に説明していたほか、名蔵中学3年生の運道渉君の作文「光を失った祖母の左目」が朗読されていた。第二部では、コーラスあかゆら、田本徹、東田盛誠、国吉なおみなどの歌声が会場に広がり、聴衆を魅了していた。

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