5月18日午後2時35分から八重山高校体育館で小野田寛郎講演会が開かれた。これは全校生徒が参加する6校時のロングホームルームの時間で、「人は一人では生きられない」という演題で講演がおこなわれたもの。小野田寛郎氏は88歳。フィリピンルバング島で終戦を迎えるも、陸軍中野学校という諜報訓練機関出身で、上官からはあらかじめ玉砕を許されない命令を受けていた。日本の敗戦を信じず、そのまま戦いを3兵士とともに継続。その後一人が逃走、7年目に一人が戦死。21年目に2人目が戦死。その後もひとりで島に残って計30年間、ルバング島で投降せず命令に服し続けた。日本人青年の投降の呼びかけがきっかけで、元大日本帝国軍司令官から帰還の命令を直に受け、フィリピン軍に投降。フィリピンのマルコスは兵の鏡として、氏の島での刑法上の罪を恩赦。氏はこのときのことを「唯一、日本刀や銃を取り上げられず、捕虜と成らずに日本に帰った」ことを述べていた。以後、日本の変貌についていけない事態を感じて、氏はブラジル移住を決め、120ヘクタールの牧場で170頭の牛を飼い、自適に暮らす。日本国内で金属バット殺人事件を知って、何か日本に恩返しがしたいと、サバイバル塾「小野田塾」を結成し、日本とブラジルを往復。子どもの健全育成にのこる生涯を捧げてきた。昨年から全国を9つのブロックに分けて、1ブロックに2校の中高校で講演を実施。昨年は真和志高校と伊良部高校で実施。今年は、西表島の船浦中学校で講演を昨日実施して、この日の八重山高校での講演会となった。氏は、「社会で生きてゆくには優しい気持ちが必要だが、気持だけでよいかというとそうではない。気持だけであればそれはヤジウマとも同じ。大事なのは行動がなければ、優しい気持ちは生きてこない。」と述べ、社会の機能が生きてくるには優しい気持ちによる行動が大事だと述べていた。