稲穂のそばにトンボ

稲穂のそばにトンボ

 新川の平田原の穀倉地帯では、アオモンイトトンボのメス(未成熟)の赤い姿が見られた。約4センチの小さな姿を利用して、稲の穂や葉の隙間を軽々と移動して虫を捕食している。減農薬の水田が増えつつあるのがよく分かる。
 農家が地球環境に優しくしたいと考えて、意識的に減農薬で取り組めば、自ずと収量は落ちてくる。しかし、そこを所得保障で支えつつ、自然の再生がじわりじわりと進んでいくことを期待したい。
 害虫が発生してもそれを捕食する益虫が栄えてきて、過度な発生に対して対向する抑止システムが機能するように、全体でうまくバランスが生まれている自然が、網のように、かつ脈々と島の山川に系統立って張り巡らされている。そんなバランスの存在が観察によって裏付けられるとすれば、大自然の再生は人の観察眼の綿密さと底深さを伴えてこそあり得る。ただ放置することでは、自然の再生とは言えず、意義も見いだせない。自然再生は、手抜きのはじまりではないことを、自覚すべきかも。生きた島として島を自然全体として感じる形が、そこにある。
 うわさや思いこみで農薬を多量に巻きすぎて失敗ばかりしていると、簡単に口にする自然大好き人間がある。農薬を一辺倒に憎むポーズだけでは、何も事は進まないし、それでは済まない。悪気はないのはわかるが、残念だ。JA推奨の営農を褒めるのは、資材をたくさん買ってくれて、収量が多い人が有れば、誰だって宣伝に彼をヨイショする。逆であれば、いいことはいわない。どこにでもある世間の逆風だ。優者はいつも目立たずズルイ。正直にこだわりつづける人はいつも閉ざされて傷ついている。
 5月15日から谷崎樹生さんの自然観察会がはじまる。自然観察を文化にしたいという意欲溢れる氏の取り組みは、まさに地球環境を正す最前線である。                   
 たとえばクジラを食べる側、いわば食文化の側の主張は、クジラの自然観察を起点にして唱えられる必要がある。水産対象だから自然観察に当たらないとする考えが、今後は改められなければいけない。自然観察からの客観的な根拠からの文化。いわば、「これまで食べてきたから、食べさせてくれ」では、通用しなくなる。ここに日本人が、ようやく地球の各所で環境を大切に考える人々と、真の意味での連携が可能となる足場が得られる。<日本人=イルカ(クジラ)を食う民族>は、固定されたマイナスイメージ。まず、クジラにしろ、マグロにしろ、食べている民族が彼らの生態のことをもっと知らなくてはいけないのだ。

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