2年目のアカキナノキ結実
八重山では戦争中、軍によるマラリア有病地帯への強制疎開で住民に数多くの犠牲者が出ている。「八重山戦争マラリア」といわれるものだ。石垣島には慰霊碑が建立されている。当時、特効薬のキニーネおよびアカキナノキの汁を飲んで命を落とさずに済んだ人がおり、多くのアカキナノキがあればと、今も惜しまれている。
3月15日、マラリアの特効薬キニーネの原料となるアカキナノキが、石垣市バンナ公園Aゾーンの八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑の裏手で42個の実を付け元気に育っている。
2001年の慰霊の日に八重山戦争マラリア犠牲者慰霊の碑の裏手に17本のキナノキが植樹されたものの、次の年には3本が枯れ、3本を追加して植栽したものの、台風などの塩害に弱い傾向から以後6年間でことごとく枯れて、最後に残った一本が8年目の昨年、開花と結実を見せたもの。
この時、開花と結実を確認した八重山戦争マラリア犠牲者遺族会(篠原武夫会長)は、定期総会でキナノキの原状回復と、キナ展示林の要請を全会一致で決議。7月17日には県八重山事務所と石垣市長にも要請。大浜長照市長は展示林に関して検討委員会を設置して取り組む考えを示した。
要請を受けた県は10月10日までに、開花したアカキナノキをネットで覆い、根元に土が盛って保護対策を実施。その甲斐あってか12月には開花がはじまり、今回の2年目の結実に至っている。
3月15日、葉に虫などによる食害があるものの昨年よりも多くの実を付け、花も2輪ほど咲かせて、囲まれたネットの中で3月の風に吹かれていた。
八重山戦争マラリア犠牲者遺族会長の篠原武夫氏は、2年目の結実に対し、「県の取り組みおかげで、枯死を免れてうれしい。県と市が共同で種子をつかって共同で発芽と育苗の試験を実施してほしい。この最後に残ったアカキナノキは遺伝的にも石垣島に適している可能性がある。」と述べると同時に「大浜市長はアカキナノキ展示林に意欲的だった。産業化の可能性も見え、新市長の中山義隆氏には、行政の継続を御願いしたい。」とアピール。
八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑に植えるまで育種を実現した花城良廣氏(海洋博覧会記念公園管理財団常務)は「自ら種子をつくれるということは、増やせる可能性が高く、新たな資源として島興しに活用できる可能性もある。もっかアルカロイド成分の多いボリビアキナノキを育種しており、別の場所でも植えることが可能で、石垣島の別の場所に植える試みも想定している」と、いう。
2001年の植樹にために、ワンボックスカーの中に入れて車ごと運搬。塩害には最善の対策を高じても残念ながらほとんどが枯れ死んだ。花城氏は「ほとんどが枯れたのは、植樹の祭にアルカリ土壌を加えたためで、パインのような赤土を好むことがわかっているため、増やすことは難無くできる」と自信をのぞかせた。