10月25日午後2時半から石垣市民会館中ホールで「東アジアサンゴ礁保全国際シンポジウム2008」が開催されました。これは東アジアにおけるサンゴ礁の危機に取り組んでいる各国の保全策に学び、石西礁湖のために何が出来るかを話し合うシンポジウム。世界でサンゴ礁の年で取り組む「国際サンゴ礁年」の2008年に、国内のサンゴ礁の半分があるとされる八重山の石西礁湖のそばでの国際シンポジウムの開催です。
この日、インドネシア、フィリピン、台湾の3カ国から大学教授を招いてサンゴ礁保全の取り組みについて講演。ハサヌディン大学のジャマルディン・ジョンパ教授は「インドネシアのサンゴ礁の管理について」、フィリピン大学ミゲル・D・フォルテス教授は「東南アジアの沿岸生態系保全に関する新しい取り組み」、台湾大学チャン・フェン・ダイ教授が「台湾のサンゴ礁保全・再生への取り組み」を題にプロジェクターで紹介。同時通訳が話が聞けた。
石垣島からは石西礁湖の現状と今後の展望を吉田稔氏が、海洋保護区の取り組みについて鹿熊信一郎氏が講演。休憩を挟んでパデルディスカッションが開催され、「サンゴ礁保全と地域コミュニティーの役割」の題でこの日の5名の講演者とWWFジャパンサンゴ礁保護研究センター長の上村真仁氏がパネリストとなって、土屋誠琉大理学部長がコーディネーターとしてリードしながら、サンゴの保全について議論を深めました。隣国のサンゴ礁の状況が分かるという意味では、有意義なイベントでした。
15年、八重山で見てきて思うところがある。今回のサンゴ礁保全の国際シンポジウムは、東アジアのサンゴ礁保全の拠点である国際サンゴ礁研究モニタリングセンターが取り仕切るもの。いわば東アジアでのサンゴ礁保全に寄与するべく作られた施設の、役の見せ所となるもの。ところが、よく見ればサンゴの保全策をアジアに学ぶ立場に逆転。これはこれまで積極的なサンゴ保全の動きがオニヒトデ駆除ぐらいで、ほとんど受け身的な対応だった結果だ。1998年6月、石垣島に建てられることが決まった時のあの勢いは失せている。
国際シンポジウムと称しても、途上国の現場の学者ではなく、権威ある学者の登場では、交流目的が強く、議論とはほど遠い。日本のシンポジウムは、「だから」おもしろくない。
サンゴの保全問題は、保全策と地域住民との接点の遠さにある。今回住民意識の現状や問題点へのつっこんだ説明はされていない。理由は、学者が集まったシンポジウム色が強いからだ。ここ八重山は自治公民館が地域に影響力をもっている。それなのに学者・研究者だけを集める傾向は「偽装住民コンセンサス」。その肯定を「国際的に高める作業」に一連のものが見えてくる可能性さえある。アリバイ的にWWFジャパン白保サンゴ村の取り組みを扱っただけに見える。国内外のサンゴ礁保全に関する情報の集約、および一元管理をし、またサンゴ礁保全・モニタリングに関する調査研究をはじめ、一般市民へのサンゴ礁保全に関する情報や普及啓発。そして、途上国のサンゴ礁保全関係者の能力養成が国際サンゴ礁研究モニタリングセンターの建設目的だった。1度目の国際サンゴ礁年で生まれたこの拠点が、2度目に迎えた国際サンゴ年では、施設は会場としても不備、研究どころか普及啓発も手狭で人が自然に集まる施設といえないことが判明。結局は市民会館で、しかも中ホールでの開催。なんらの国際性ある成果を生んではおらず、今回の会場に足を運んだ地元住民の数の少なさは、石西礁湖再生事業と住民との距離状況をも反映している。市街地だけで約3万人が密集する場所で約200人の聴衆はないだろう。
米国が保護区をもうけると銃を持って完全に出入りを禁止する。そうすると銃をもった密猟者が現れる。世界にそういう保護区が生まれて、結局は密猟者の武装が標準となった。日本はそういうやり方をしないことを旨としているはず。少なくともアジア地域はそのことに気がつき始めている。米国式になじめないのだ。日本のつくるやり方が注目されてしかるべき。地域の気候・文化、伝統を大切にする形。それを紹介する機会だったシンポジウム。それをいとも簡単に、台無しにした。手探りで生み出したWWFジャパンのサンゴ村の事例はWWFジャパン内でも、世界に事例がないだけにしっかり理解されていないはずだ。それが環境省は分からない。否、わかった職員が去り、また学習中の職員がいるというだけ。NGOにいじめられる日本政府の根本体質である。今後、同センターの拡充の話は聞いたことがないが、少なくとも、生物多様性のCOP10の2010年開催を控えて、東アジアのサンゴ礁のモニタリング拠点は、モニタリング技術の開発現場である以上、またこれだけ温暖化との関連を深く持つ現場であれば、追加整備はあっておかしくないのではないか。実際、周囲は空き地だらけでもある。あれだけ拠点建設に熱を入れた石垣市長も今回は顔を見せなかった。八重山のサンゴ礁は、いわば看板の「東アジアのサンゴ礁保全の拠点」的意味合いは弱まっているかに見える。すでに養成する側から学ぶ側に逆転しているから、そう指摘をされてもしかたがない話。学者の意識が、どうやって住民の側に降りてくるか。イリオモテヤマネコが学者に囲い込まれて、一向に地元での研究協力者のすそ野が広がらないことに似ていないだろうか。軽視があるのだ。
官僚は学者の都合に流され、過去の事業マニュアルに依存して、無事な予算執行で事業をやり過ごしている。また、官僚の予算執行を監視する学者・研究者たちとしか見えない。しかし、東アジアを頭にかぶせて、国際シンポジウム2008とは・・・。国際サンゴ礁年東アジア地区サンゴ礁保全シンポジウムか、国際サンゴ礁イニシアチブ提携・サンゴ礁保全シンポジウムが普通だ。そして国際機関の人間がひとりでも来るのが筋ではないか。国際サンゴ礁研究モニタリングセンターの「国際」をつければいいという感覚からこうなる。いわば「名ばかり」構造。
ひとつの島へ国立公園エリアを拡大させた成果は、その島の住民が生み出したものだ。国立公園がエリア拡大して開いたイベントも、地元は少なかった。海中公園を4つ生み出した。なぜにもっと八重山の海に力を入れ、事業者レベル・研究者レベルではなく、公民館レベルの住民に近づこうとしないのか。農協・漁協のお偉いさんもいいが。まずもっと農家・漁家に会うべし、といいたい。