6月24日零時40分、岩手のたねもみ増殖で石垣島へ派遣され、岩手34号36号の栽培指導に当たった菅原邦典氏が心不全で亡くなった。往年65才。菅原氏は、1993年の全国的な米の大凶作の中、稲の新品種の種籾増殖支援の時に石垣島へ来島。岩手34号と36号を増殖して、次年作付け時の種籾不足に対処した。なかでも冷害に強い米として育種してきた岩手34号などが、記録的な冷害の中で驚異的な好成績を出したため、寒い岩手にとっては夢の米として注目を浴びていた。それだけに、石垣島での増殖はことのほか喜ばれた。1993年から1994年にかけて石垣島で種籾増殖して、来期の植え付けに間に合わせる使命を受け、1994年に石垣島へ来島した盛岡農業改良普及所の上席農業普及員の菅原氏は、島の栽培農家と親密に接して種籾増殖の指導に当たった。南国の石垣島が、岩手の本場の米作りに接し、寒い所の栽培と暑い所の栽培の技術交流が図られ、石垣島ではこれを契機に、3期作に挑戦する農家も輩出。今なお、続けている農家もある。菅原氏は石垣島の稲作農家には忘れられない存在だった。34号、36号は、「かけはし」「ゆめさんさ」と名を付けられ、岩手のオリジナル米として存在している。この関係は、盛岡第四高校と八重山高校との交流に引き継がれている。写真は、孤軍奮闘の菅原邦典氏(1994年八重山農業改良普及所にて)。