7月3日は、尖閣列島戦時遭難者慰霊祭が石垣島舟蔵にある慰霊碑の前でおこなわれ、40名足らずの関係者が集まって、当時を思い起こしながら、犠牲者の冥福を祈っていました。この尖閣列島戦時遭難事件は、沖縄における組織的な戦闘が終結したあとのこと。1945年7月3日、午後2時のこと、石垣島から台湾へ向かった疎開船2隻がアメリカ軍機に襲撃され、1隻が沈没。もう一隻は尖閣列島に漂着。45日間におよぐ飢えとの戦いを経て奇跡的に120名が生還した事件です。当時の遺族の間で、1969年5月に慰霊碑を尖閣の魚釣島に建立。しかし、魚釣島は無人の遠隔地。上陸して慰霊祭ができないことから、2002年6月に石垣島の舟蔵に慰霊碑を建立。毎年、7月3日午後2時に、遺族会が中心になって、慰霊祭がおこなわれています。この日、慰霊祭は、まず尖閣へ向かって黙祷を捧げた跡、導師の読経がおこなわれ、参加者による焼香がおこなわれました。遺族会の会長、慶田城用武氏が挨拶に立ち、二度と戦争を起こさないために悲惨な尖閣列島戦時遭難事件から学んだ教訓を風化させることなく、後世に伝え、人間の尊厳と恒久平和の確立に貢献するように努力したいと述べていました。