一九七〇年代、トリオ漫才「レッツゴー三匹」は関西で大活躍した。開口一番、「ジュンでーす!」「長作でーす!」とテンポよく名乗り、最後に正児が仰々しく「三波春夫でございます」と自己紹介するのが何故か受けた。
このような三段落ちはリズムが肝心で、勢いで落とせる力技でもある。また、大喜利などでもよく見られる、お笑いの定石ともいえる。その基本は、同じシチュエーションを三つ畳みかけ流れを作るところにあるが、最初の二つは最後のオチの前フリとして用いる事を知らねばならない。そして、最後は流れに反した意外な回答によって、笑いが生まれる訳である。それだけに演じ手のチームワークも必要だ。
八重山の狂言のなかでも、与那国島の「仲順流れ」や、西表島古見の「田耕し」は典型的な三段落ちの狂言である。
「仲順流れ」は年老いた父親と三人息子による狂言。父親が「私は三人の息子を産み育て、今では孫もでき満足しているが、最近、年もとって歯も落ち、食物も満足にとれない」と嘆き、まず長男を呼んで尋ねる。「お前の乳飲み子を畑に埋めて、お前の妻の乳を自分に飲ませて養ってくれないか」。当然、長男は「幼い孫を殺してまで命を長らえようとはもってのほか。死ぬなら勝手に死ね」とはねつける。次に二男を呼んで尋ねてみたが、やはり同じ答え。最後の三男は、「子供は産み替えできるが親はできない。貴方の言う通りにします」と、子を生き埋めにしようとする。すると、穴の中から金銀の宝物がざくざく出てくる。そこで父親は、「私の難題はお前達の心を試す計謀であった」という極論で、親孝行を説き結末を迎える。
「田耕し」は、総代が村の青年ABC三人を田へ呼び出し、田圃の荒打ち、田耕しを命じる。AB二人は昼寝を決め込み仕事をさぼるが、Cは真面目に働いている。そのうちCは田の中から黄金を掘り当てるが、三人共に自分の物だと主張する。そこで総代に相談したところ、「一番年長者に黄金をあげることにしたらどうか」と提案する。
Aは「我ー年さ此ぬ島ぬ茶碗ぬ一つ満つぁぬ時から生りどぅるゆー」(私の歳はこの島が茶碗の一つにも満たない時から生まれていました)と答え、Bは「我ー年さ此ぬ島ぬ天とぅ地とぅ未だ分がらぬ時から生りどぅるゆー」(私の歳はこの島が天と地が未分化の時から生まれていました)と神話的な発想で答える。そして、Cは「我嫡子くいした二人とぅ年ぬ人ゆー」(私の嫡子はこいつらと同い年でございます)と答える。
ABのアイデアを利用したCの回答に、総代は「だー、親だぎぬ兄どぅやりしってぃ」(お前はこの二人の親ほどの先輩であるんだなー)と感心する。そして、黄金はCの物となって幕。そこには勤労が福を招くという教訓もあろう。
竹富島の種子取祭では、四段落ちともいえる、玻座間村の狂言「組頭」が演じられる。組頭が村の青年四人を呼び出し、畑のススキを取り除き整地をさせる狂言である。青年たちは、各自他の者よりも自分の方がよく働いたと自慢しあう。
「俺の鍬は形も美しく、誰よりもススキを取り除けるぞ」。「俺の鍬は肌艶もよく、いつもピカピカだぜ」。「俺の鍬は鋼入りで、切れ味鋭く、他の者より三株も多く取り除けるよ」。そこへ四人目の青年が「俺の鍬は竹富の鍛冶屋で造ったので、こんなにも切れ味がよく、皆よりも一株だけ多くススキを取り除いたよ」と答え、会場はやんややんやの大喝采。
四人目の青年は、謙虚な人柄も窺わせ、種子取祭の場も味方につけながら、まさに美味しい役どころである。各自冒頭の台詞が「あー、我鍬や」から始まるのも、軽快なリズムを作り出し、四段落ちをスムーズに成立させている。