今年32歳になる施主の大久竜士さん。若くしてマイホームを実現させた竜士さんだが、実は家を建てるのは20代からの夢だったという。当時から積極的に土地を探しており、24歳のときにいい土地が見つかりすぐに銀行にローンの相談に行った。しかし次の日には別の人にその土地を購入されてしまい、がっかりした竜士さんはその後マイホームへの情熱が冷めていったという。しかし数年後、同級生たちが続々と自分たちの家を建て始めたこともあり、念願だったマイホームに自分たちももう一度チャレンジしてみようと、土地探しを再開することにしたそうだ。
土地探しを始めてからすぐ、真栄里の分譲地にいい場所が見つかった。利便性も良くこの土地に決めようと思ったが、希望の場所は分譲地の中でも割高な土地。「値段は少し高めでしたが、家の向きは絶対に南向きにしたかったんです」と竜士さん。玄関は南側で、和室に床の間を置くなど、沖縄の伝統的な間取りにしたかったという。しかし奥さんの香さんはアメリカに6年間住んでいたこともあり、希望していたのはアメリカにあるような開放的な家だった。「家を建てると決めてからは、ケンカばかりしていましたよ」とふたりは当時を振り返って笑う。最終的には沖縄の伝統的な要素は残しつつも、天井の高さや壁の色、窓を出窓にするなど、奥さんの希望も取り入れられた家族の念願のマイホームが完成した。
そもそもなぜマイホームを建てようと思ったのか聞いてみると、竜士さんは「自分のためではなく、子どもたちのため」だという。
「自分が難儀して得たものが、将来子どもたちの財産になれば嬉しい。なにより自分の家を持つと、家族のために頑張ろうって気持ちになるんですよ」。
親から子へ受け継がれる大久さん邸だった。