交通変更の730の日と重なり、日程をくりあげた豊年祭

交通変更の730の日と重なり、日程をくりあげた豊年祭
交通変更の730の日と重なり、日程をくりあげた豊年祭
交通変更の730の日と重なり、日程をくりあげた豊年祭
交通変更の730の日と重なり、日程をくりあげた豊年祭
交通変更の730の日と重なり、日程をくりあげた豊年祭
交通変更の730の日と重なり、日程をくりあげた豊年祭

●カンピュールの決定
「今年ヌ プール(豊年祭)ヤ イチゥ(何日)ドゥ ヤルー?」と方言でメールが届いた。来た来た。「七月二十一日、二十二日ですよ。」 毎年、何人かにたずねられる。私にこんな問い合わせがあるのは、特に行事に詳しいというわけでもなく、単に新川の字民だからだ。
 四ヶ字豊年祭の日取りは新川の古老がカンピュール(神事の日取り)を取り、一月の字総会で年間行事予定の中に記されて公になるのが恒例だ。だから新川字会総会資料を持っている私に問い合わせがくるということである。
 日取りは稲刈りをすませた旧暦六月の癸(みずのと)・甲(きのえ)」の日をもってするのが良いようだが、『八寿を迎えてー新川村と共に』(入嵩西清佐)によると十二支との組み合わせでもう少し複雑な日取り決定があるようだ。

●730でカンピュールを変更
 そうやって、神様のご都合が最も良いとして決定した日取りが人間の都合で変更になった例がある。
 一九七八年七月三十日。この日は道路交通法が変更になり、車が右から左通行になったいわゆる「730ナナサンマル」の日として歴史に刻まれた日である。
 この日は当初、四ヶ字をはじめ「宮良や裏石垣の下地」「小浜、西表、古見、星立」の豊年祭の日であったという。島民からは730の予定を変更して欲しいという声もあったが、沖縄県全体にかかる日だということで、やむなくほとんどの豊年祭の日程が繰り上げになったという。
 一九七八年七月二十一日の「八重山毎日新聞」によると〝繰り上げ豊年祭”が行われたと〝〟付きで表記してある。記事にはこれから行われる各地の豊年祭日程も書かれていて、それをよくよく見てみると、なんと新城島だけは、三十日に予定されている。
「カンピュールは変更されなかったんだ」どこか救われた気持ちにさせる。道路交通法変更に影響の少ない島だからだと言えばそれまでだが、神事を大切にしたのだと思いたい。

●豊年祭の神髄ウフミシャグ
 豊年祭の頃は台風の季節でもある。台風接近の強風にあおられ倒れそうな旗頭に「アリアリアリ~」と見物人が嬌声を発していた記憶も少なくない。
 もし、豊年祭当日が台風の場合はどうするのだろう。先輩にたずねたことがある。するとウフミシャグだけは必ず行うとのことだった。ウフミシャグとは御神酒献杯のことで豊年祭の神髄である。
「プールィは各御嶽での神司による祈願にはじまり、御神酒献杯が交わされます。このとき、二人、あるいは四人の給仕、酌取りと呼ばれる人と神司や客人、山人数(やまにんじゅ)との間で杯をやりとりしながら歌われるのが「ウフミシャグパーシィ(大神酒囃子)です。」『平成十三年度新川字会豊年祭パンフレット』より
 勇壮な旗頭や太鼓、舞踊の奉納、ドラマチックな「五穀の種子授けの儀」や「アヒャー綱」。そういうところについ注目してしまいがちだが、拝殿の中で行われているミシャグの儀式こそが豊年祭の神髄である。
 ムラプールの日、いよいよ「大綱曳き」へと観衆が大綱を曳いて移動を開始する頃、真乙姥御嶽の拝殿の中では祭りのしめであるウフミシャグの口飾り(口上)が行われる。
 今日の祝いの 大神酒
 上ぐなーら シィサリ

八重山資料研究会 山根 頼子

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