「暴力はいけない 命は大切」子どもに信頼される平和学習の本がほしい

「暴力はいけない 命は大切」子どもに信頼される平和学習の本がほしい
「暴力はいけない 命は大切」子どもに信頼される平和学習の本がほしい
「暴力はいけない 命は大切」子どもに信頼される平和学習の本がほしい
「暴力はいけない 命は大切」子どもに信頼される平和学習の本がほしい
「暴力はいけない 命は大切」子どもに信頼される平和学習の本がほしい
「暴力はいけない 命は大切」子どもに信頼される平和学習の本がほしい

● 八重山戦の出版物が少ない頃
 1989年、沖縄本島から石垣島の県立高校図書館へ異動になった。6月の図書館は慰霊の日にちなんでどの学校でも平和学習を企画する。その中で八重山の生徒も本島同様、戦争体験といえば「ひめゆり学徒の体験談」と口をそろえていうことに気付いた。戦時中の八重山の状況や「戦争マラリア」の話を知る生徒は当時多くはなかったのだ。
 それはしかたないかもしれない。「ひめゆり学徒」をはじめ那覇、南部の激戦地区に関する出版物は格段に多く、八重山の戦争に関する本は「沖縄県史10」や「市民の戦時戦後体験記録」(1)~(4)と自治体が発行したものや大人向けのものが少しあるだけだったからだ。
今は体験記や絵本仕立ての本など出版物も増えたが、当時は八重山の児童・生徒にも読める平和学習の本が必要だった。
その頃南山舎では「八重山の戦争」(大田静男)の出版準備がすすめられており、大田氏を中心に戦跡めぐりなども行われていた。
八重山住民に山岳部への避難命令が出たのは1945年6月上旬。それを追体験しようと同じ頃の夕方、市街地を出発し名蔵白水まで歩いた。参加者はライトを持ち軽装であったが、戦時中は荷物を持ち、女子ども老人たちが暗い山道を歩いたという。図書委員の生徒と一緒に私も何度か参加した。

● 県知事交代で変化した平和教育
1990年頃の学校では授業の中で戦跡めぐりなどを計画すると「それは組合活動ではないか」といわれ認められなかった。ところがそんな状況が一変する。長期の西銘県政が大田県政に変わり「平和教育」が施策に明記されたことによる変化だった。その結果、これまで校時中の戦跡めぐりを認めなかった管理者が態度を一変させ、調査報告書へ積極的に記入している姿があった。これが県政が変わるということなのかと驚いたものだった。そういう社会の変化もあったのか出版は盛んになっていった。
平和学習がやりにくかったり、武力を「積極的平和」と巧妙に言いかえる時代は要注意である。「でも隣国がそうだからしかたない」と暴力を肯定する大人が増えている。その姿は「鬼畜米英」を信じた戦前の人と重なり映る。「暴力はいけない。命は大切」と子どもは知っている。子どもに信頼される大人になりたいものだと強く思う。

● 記述ミスもありうる前提で読もう
 資料を読むときに留意したいことがある。『走れ!やすほ にっぽん縦断地雷教室』上泰歩 ピースボート[編](国土社)の文中に八重山に関する記述ミスがある。
著者は実際に八重山を訪問し「ろうあ者友の会」と交流した後八重山平和祈念館を訪問している。そのくだりで「石垣島では戦時中に上陸してきたアメリカ兵からマラリアが流行して、たくさんの人が亡くなったという。また、命をとりとめた場合でも、高熱のために耳が聞こえなくなった人もいた」とある。
戦時中アメリカ兵は上陸していないので、戦後本島の米軍基地から風疹が広がり、難聴児が生まれたという話と著者は混同したのではないだろうか。児童書なのでその影響が気になり、出版社へ連絡したが誠意ある回答は得られなかった。
出版社も細心の注意を払うのだろうが間違うこともあるだろう。それをふまえ読み手は活字をうのみにしてはいけない。情報の扱い方の学習が大切だと改めて思った例だった。

写真(1)『市民の戦時戦後体験記録 第一集~四集』

子どもが読める八重山の戦争体験絵本
写真(2)『テッちゃんの十五年戦争』宮里テツ
写真(3)『みのかさ隊奮闘記』儀間比呂志
写真(4)『忘れな石』宮良作 宮良英子 

写真(5)戦跡ガイドマップが掲載されている『八重山の戦争』大田静男(南山舎)

写真(6)誤記のある『走れ!やすほ にっぽん縦断地雷教室』上泰歩 ピースボート[編](国土社)

八重山資料研究会 山根 頼子

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