凄腕の総料理長ポーザー(庖丁人)と豊かな食文化

●タンカー祝いの飾りつけは?
「下の子どもが満1歳になるんです。タンカー祝い(ヨイ)の床飾りなど何か資料がありますか」と、図書館に二児のパパがたずねてきた。「あります、あります」まかせてくださいよ。胸こそたたかなかったが、自信をもって答えられたのは『八重山の料理 崎山静八十五歳生年記念』が「勘ぴゅーた」にヒットしたからだった。
 表紙に紅型の松竹梅柄をあしらったこの本は、わずか四十ページの小冊子ながらほとんどが写真なので一目瞭然、情報量も多く、文字を読むより早くてわかりやすい。
 内容は正月の床飾りにはじまり、年中行事、祝い、法事料理が掲載されている。膳のある飾り全体写真のあとに個々の料理写真があり、親切で嬉しいつくりだ。
 二児パパの目的、タンカー祝い床飾りのページには、重箱の花米、飾り瓶子(クビン)の酒、紅白の鏡餅があり、そのとなりに恒例の子どもの将来を占う儀式で使う品々、算盤やノート、絵本に硯一式などがある。二児パパの家では英語の辞書、お金、食べ物などを並べたようだが、赤ちゃんは途中フェイントありで、最終的に食べ物を取ったという。これで一生食べ物には困りません。パパは喜び、めでたしです。

●庖丁人(ポーザー)崎山静
 この本は明治三十八年生まれの崎山静さんの八十五歳生年祝いを記念してご家族が発行されたものだ。ポーザーの体験から得た行事料理をまとめた貴重な一冊だが残念ながら非売品だ。
 崎山さんはポーザーとして生涯で七十軒ほどのヨイヤー(祝いの家)ショッコーヤー(法事の家)の台所を仕切ってこられたという。ホテルの宴会場などない時代の話で、昼夜に分けて訪れる四百人もの客人に出す膳の一切を仕切るのがポーザーの役目。食器や食材、人手の手配など綿密な段取りが必要だっただろう。その上冷蔵庫もない時代ときたら現代人の想像を絶する。さしずめ凄腕の総料理といえるだろう。
 本文中には大田静男氏による聞書きもあり、短文だが貴重なエピソード満載で時代をほうふつとさせる。それによると崎山さんが初めてポーザーをしたのは蓄音機アッパー仲本正子の生年祝い時から。ポーザーは豚肉一斤で何人料理ができるか、かまぼこをどのように切れば何人分かと予算をたて過不足のないようにするのが与えられた責任だと崎山さんはのべている。

●殿内の行事料理
 こんな資料もある。ポーザーが腕を振るったであろう行事の献立記録の古文書だ。琉大図書館や市立博物館に保存されているというが貴重資料のため私たちは簡単に見ることはできない。
 それを解決してくれたのが『宮良殿内・石垣殿内の膳符日記』(金城須美子)だ。原本の写真と、活字におこした翻刻が並記されているので、古文書を読めなくても大丈夫だ。
 拾い読みをするだけでも当時の食文化を垣間見ることができ楽しい。
 たとえば、「締卵船型切目」とは、「煮立った湯に塩をひとつまみ入れ、溶き卵を流し入れ固まったところを巻きすに取り、巻き締め、熱いうちに形をととのえそのまま冷やして型をつけたもの」だという。だし、砂糖、醤油、塩を入れた中に流し入れ味付けにする場合もあるというから、なんとおいしそうな料理だろう。また見た目も船の型とは斬新ではないか。そんな古くて新しい料理に出会うことができる。
 他にも食べてみたい料理として、吉野餅、鶏卵砂糖煮、竹輪豆腐、しんじょとなまこの黄金焼き、ジュゴンのぬた等々がある。食材も調理法も豊富で、味や盛り付け、また食材の流通を想像するだけでも充分楽しめる一冊である。

八重山資料研究会 山根 頼子

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