●少し鼻声の喜舎場永珣の歌声
先日偶然、喜舎場永珣の声に出会った。「下原節(そんばれぶし)」をうたっている。音源は1935年録音のコロムビアレコード。すこし鼻にかかったようなまろやかな声質で、息継ぎの音も聞こえる。臨場感たっぷりだ。国立国会図書館のHPに公開されているのを偶然見つけ自宅のパソコンできいた。
「八重山学の父」と呼ばれる喜舎場永珣だが、民謡のレコードを出したということは聞いたことがなかった。だから「いやいや、これは国立国会図書館のデータ入力ミスかなんかでしょう」と私は半信半疑であったが、後にそれはまぎれもなく本物だということがわかった。失礼しました国会図書館。
喜舎場は1885年生まれである。とするとレコードは50歳頃の声だ。歌っている「下原節」は現在聞き慣れている節回しとは少し異なり、昔風で味わいがある。ぜひ聞いてみて欲しい。HPでは「デジタルコレクション」の中の歴史的音源として他にも大浜津呂の「古見の浦節」「赤馬節」崎山用能の「安里屋節」を聞くことができる。
●伊波普猷宛ての手紙
「汝の立つところを深く掘れ、甘き泉あり」ニーチェの言葉を人生のモットーとし、八重山の民謡、古謡、歴史、を研究したとして知られる喜舎場永珣の名は有名だ。しかしその研究やひととなりをあまり知らず私は今日まで過ごしてきた。「下原節」の音源を聴きこの文章を書くにあたって三木健『八重山研究の人々』(ニライ社)を読んでみたのだが、すると「なるほど、そういうことだったのか」断片的な事柄がつながり整理され、いきいきとした人間像を描くことができた。心地よい感覚だった。
たとえば「鷲ユンタ」の作者が仲間サカイであることを探し当てたのは喜舎場であったという。当然のようにそこにある伝承かと思い込んでいたが、伊波普猷からの依頼をうけて、三ヶ月かけて調べ歩いた苦労の結果であり、私たちはそれを享受していたようだ。調査報告の手紙(写真)が『宮良長包直筆楽譜集』(石垣市教育委員会)の中に収録されており、これも先日市立図書館で見たばかりだったので具体的に想像することができ、パズルがぴったりはまったような爽快感を得た。
●喜舎場の影響力
喜舎場に八重山民謡の収集をすすめたのは伊波普猷。そしてその成果を「八重山島民謠誌」にまとめ出版するよう促したのは柳田国男だという。おかげで八重山の貴重な資料が残った。また喜舎場は小学校教師時代に「オヤケアカハチは逆賊ではなく庶民の英雄であった」という新しい視点を提供し、教え子の詩人・伊波南哲はその影響を受け『オヤケアカハチ』の物語を書いている。なるほど、なるほど。その流れが現在の子ども演劇「アカハチ」へとつながっていると考えるとあらためてその影響力の大きさに驚く。
こんなエピソードがある。昭和3年、東京日本青年館での「郷土舞踊民謡大会」
に出演のため喜舎場を監督とする八重山舞踊団は東京へ向かった。しかし途中八重山の民俗舞踊を県の恥とする本島の古典芸能関係者の前で試演を余儀なくされる。あら探しの批評に喜舎場は、素朴な郷土芸能の趣旨を理解しているかと一喝し場を静かにさせたという。また八重山蔵元の資料を焼き捨てた当時の役人達の認識不足に、我慢がならないと憤ったという話など、たまらなく嬉しい話である。
昨年石垣市に喜舎場の生前の資料が寄贈された。公開され活用できる日が待ち遠しい。